2020/10/19

お客様はただのお客様

 

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テーマ:謙遜

 

18歳の時に田舎から一人大阪へと移り住み、
ミナミのとある飲食店でアルバイトをしていた。

この「ミナミ」というのは難波や心斎橋などの街を包括した呼び方であり、
エリア一帯が大阪の”夜の街”として広く認識されている。

ミナミの飲食店は客単価が5000円を超えるような店が多く、
客層も大手企業の幹部クラスやキャバクラ嬢との同伴客が大半を占める。

そのため、お酒を提供する小料理屋などは、
もっぱら「水商売」としてのサービスの提供を客から求められる。

ただ美味しい料理を提供するだけでは客は満足しないのだ。

そこに「おもろい話」や「特別な待遇」を添えていかなければ、
決してこの街で生き残っていくことはできない。

だから、ミナミの飲食店で働く従業員たちは、
ある意味で「一流ホステス」のような繊細な心配りが要求される。

 

 

振り返ってみるとあの仕事は本当に苦痛だった。

仕事の内容が嫌だったわけではなく、
そこで要求される「心構え」が自分の肌には合わなかった。

水商売の世界では、下っ端の従業員は”猿まわしの猿”のような存在だ。

客から「おいお前、踊れ」と言われたらその場でステップを踏み、
無様な姿を晒すことで客に優越感を感じさせる必要がある。

彼らはその気持ちを味わうためにわざわざ高い金を払っているからだ。

それを拒否しようものなら、
「アイツをオレに近づけさせないでくれ」
などと周りに言われて以後ずっと無視され続ける。

また自分は嫌だと店側に助けを求めたところで、
「お前はそんなこともできないのか?」
などと逆に力不足の烙印を押されてしまう。

要するに、猿回しの猿になりきることが下っ端の従業員としての役割なのだ。

それらはすべて、「お客様を楽しませる」という正義の為に必要な”犠牲”らしい・・

だけど、僕には、その感覚がどうも理解できなかった。

たしかにお客様を楽しませるという心構えは理解できる。

けれどもその為に、たとえその場の演出だとしても、
従業員が猿まわしの猿にまでなる必要があるのだろうか?

そこまで自分たちの立場を落とす必要があるのだろうか?

だって、相手は同じ人間だ。

お客様だかなんだか知らないけど、
お金を払ったからといってそこまで相手に尽くす必要はない。

そこまで人間としての尊厳を犠牲にする必要などない。

まさか相手が神様でもあるまいし・・

 

 

この仕事を経験したことで、自分の「謙遜」に対する嫌悪感はさらに増幅された。

 

”こんな気持ちの悪い概念があるせいで僕たちの自由が奪われている”

 

そうして謙遜を要求する人間に対しても、
また過剰に謙遜する人間に対しても、嫌悪感を感じながら社会人生活を送っていた。

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