2020/08/03

中庸にたどり着く方法

 

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陰と陽を知ることは中庸を知ること、
そして中庸を知ることは幸福の道を知ること。

ここ数日で中庸について話してきた。

中庸や仏教の中道(ちゅうどう)について、
よく「陰と陽の中立」だとか、
「右と左のちょうど真ん中」などと、
物事の中間なのだと捉える人がいる。

けれど中庸(中道)は単なる中間という意味ではない。

お釈迦様は中道について、
「快楽と禁欲のバランス」という話をしたらしい。

極端に快楽を追い求めても良くないし、
極端に禁欲して自分を律しても良くない。

それらのバランスを保って生きることが重要、という感じだ。

この話だけを見ると、
「中間こそが中庸(中道)」と思いがちだけど、
単にバランス良く生きれば幸せになれるかというとそうではないと思う。

なぜならバランスの良い中間は「平凡」だから。

平凡な人生を送れば幸せになれるのならば、
この世に生きるほとんどの人が幸せになれるはず。

ところが、どう考えてもそれは正しいようには思えない・・

だったらなぜ生きることはこんなに苦しいのだろうか?

僕たちが極端な快楽を求め過ぎているから?
いや、そんなはずはない。

歳をとっていけばいくほど、
物質的な欲望や名声欲などはどんどん消えていく。

そこまで高みを望んでいる人なんてあまりいないと思う。

仏教的にも、中道は、
『左も右も超越した境地』だと説明される。

超越した境地なんて言われてもサッパリわからないけれど、
とにかくバランスの良い中間ではないということだけは確かだ。

けれども別に言葉の定義なんてどうでもいい。

大事なことは、
「じゃあどうすれば中庸にたどり着けるか?」
ということだ。

どれほど素晴らしい知識を知っていても、
生きていく中で実際にそれを使えなければ意味がない。

絵に描いた餅、机上の空論だ。

だからこそ考えるべきは
「中庸にたどり着く方法」。

この素晴らしい知識を、
僕たちの人生でどうやって使っていくのか、ということだ。

僕はずっとその道を追い求めてきた。

その結果、僕が導き出した答えはこうだ。

 

『陰も陽もどちらも体験するしかない』

 

そう、中庸に至ることを望むのであれば、
陰も陽も実際に自分で体験するしかない。

例えば、
新入社員の頃は上司にやたらとムカついてしまう。

「なんでこんなに命令してくるんだよ」と。

けれども時が経ち、自分に部下ができると、
その時に初めて上司のあの態度の意味が分かってくる。

”そうか、あれはこういうことだったんだ・・”

他にも、
自分が親になって初めて両親の気持ちが理解できたり、
自分が歳をとって初めて高齢者の気持ちが理解できたり、
自分が実際に体験してみて初めてわかることが人生には多々ある。

もちろん、まずは知ることが大事だ。

相手の考え方や価値観を知ることが、
「出来る」ようになるための最初の一歩となる。

だけどやはり、ただ表面的なものを知るだけでは分からない。

自分がその環境、その立場に立ってみなければ、
やはり対極のことは分からないのだ。

 

 

対立する者同士はわかり合う必要はない。

お互いがお互いを認め合いさえすれば共存することはできる。

けれど、真に相手のことを理解したいのであれば、
相手の立場に立って考えてあげなければいけないし、
あるいは相手と同じ環境に身を置いてあげなければいけない。

自分の考えや価値観を一度捨てて、
相手側に歩み寄ってあげる必要がある。

そこまでしなければ、本当の意味で
中庸(中道)に至ることはできないのだろうと思う。

ただ実際にはそこまですることはできないので、
「中庸に至る」というのは”努力目標”ということになるだろう。

難しいけれどそこを目指して頑張りましょう、ということ。

出来る限り中庸の状態を目指すことが、
僕たちが幸せになるための道なのだそうだ。

 

 

僕たちは様々なことを体験するためにこの人生を生きているはず。

やはり体験に勝る学びはない。

だからこそ成果や結果を重視するのではなく、
体験することを重視して生きることが大事なのではないだろうか。

 

なぜならそれが、幸せへの道なのだから・・

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