2020/10/19

僕たちが謙遜を所望する理由

 

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テーマ:謙遜

 

初めてスーツを着たサラリーマンとなった時、
僕にとって謙遜の態度はもう単なる”反射神経”と化していた。

「いやいや、そんなことないですよ」

心の中ではそんなこと微塵も思っていないけれど、
とりあえずそう言っておけば軋轢は生じない。

いちいち相手と争っていたらキリがない。

どうせ議論したって無駄なのだ。

ただ盲目的に「正しい」と信じている相手と話をしたところで、
相手の価値観が変わることなんてまずもってない。

しかも相手が議論するのは圧倒的に年下の人間だ。

そんな若造から謙遜の馬鹿らしさを諭されても、
「ふっ、お前みたいなクソガキに何がわかるんだよ」
と逆に小バカにされてそれで終わりだ。

だから僕は何の感情も入れず、無機質な表情でその言葉を放っていた。

 

 

苦しみは長い間続いたけれど、最近、ようやくこの概念の出所が判明した。

この国に脈々と受け継がれてきたこの価値観が、
一体、誰が何の為に植えつけたものなのかがハッキリと分かった。

ある時から突如として強制的に乗せられるこのレールが、
一体どこから敷かれたものなのか、その始発点が明確になった。

ついに”諸悪の根源”を突き止めることに成功したのだ。

・・実は、この奇異な概念の出所やその弊害については、
今から200年以上も前に一人の人物によって既に指摘をされていた。

この価値観が日本人に本来備わっていたものではなく、
その昔に外国から流入した価値観であることを突き止めた人物がいた。

その人物こそ、古事記伝を書いた「本居宣長」という人だ。

誰もが国語の教科書でその名前を見たことがあるだろうと思う。

この古来の日本の文化研究「国学」の第一人者が、
謙遜という価値観は”誰かに植えつけられたもの”なのだと200年も前に主張していたのだ。

 

 

僕たち日本人は「謙虚で控えめな民族だ」と他国から称される。

だけど、少し冷静になってこの言葉を眺めてみてほしい。

果たしてこの言葉は、本当に僕たちを褒め称えている言葉なのだろうか?

僕たちの国民性を真に称賛した言葉なのだろうか?

 

「その姿勢を我が国も見習いたいです」

その言葉は、”理想の国”に憧れる気持ちで発せられた言葉なのだろうか?

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