日本には全部ある

 

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昨日「自然には全部ある」という事を書いた。

そして自然にあるのと同様に、
僕たちの暮らす日本にも生きるために必要なものは全部ある。

ここ日本は、地理的な特質から見ても、
あるいは文化的な特徴から見ても、
世界に類を見ない唯一無二の国だ。

僕たちは日本人であることにもっと誇りをもって良い。

この国には地球上の全ての現象が集約されている。

日本とは、いわば”地球の縮図”なのだ。

 

 

僕たち日本人は自然の摂理を最も肌で感じて生きている。

まず第一に日本には四季がある。

ぽかぽかとした春に芽を出した植物は夏のかんかん照りを浴びてぐんぐんと成長し、
彩りの秋にその実りを地に落とすと暗い冬には再び訪れる時に備えて長い休息に入る。

そしてまた我が身が暖かい空気に包まれたのを感じるとその手を元気良く空にかざし、
豊かな実りを頂けるようにと両手を大きく広げ天に向かって静かな祈りを捧げる。

そうしてまた一年後に死の冬を終え、
生の春に新たな芽を誕生させて次の年を迎える。

その繰り返される命の循環は、まさに輪廻転生そのものだといえる。

また、これらを行う植物の動きは一様ではない。

暖かい春に彩りの最盛期を迎える植物もあれば、
暑い夏に潤いの最盛期を迎える植物もあるし、
極寒の冬に逞しさの最盛期を迎える植物もある。

それぞれの植物は、それぞれの「特徴」を兼ね備えている。

そしてまた同じ植物同士であっても、
まったく同じ形をしたものは一つとして存在しない。

一つ一つの実の大きさは異なっていて、
よく見ればその顔も一つ一つ違っている。

一つ一つの実は、一つ一つの「個性」を兼ね備えている。

この植物が兼ね備えた特徴や個性を、
僕たちは敬意を表して『旬』と呼んで堪能する。

花ならば最も彩りが鮮やかな時期にその姿を拝み、
食材ならば最も美味しい時期にその味を噛みしめる。

それが何よりも相手に対する感謝を示すことになるからだろう。

また旬を過ぎた植物は随分と味を落とし、
育ち過ぎた植物は大味でどこか旨味がなく、
育ちのよくなかった植物は少し味気ない。

それらは他の食材や調味料と合わせて加工食品にしたり、
調理方法を工夫して美味しくいただけるようにしたりする。

その姿勢は、まさに人間関係のそれと同じではないだろうか。

四季のある国はこの世界にもたくさん存在するけれど、
ここまで四季と生活が密接に関わっている国は他にはない。

そして第二に、ここは島国であるがゆえ、
日の出と日の入りの姿をありありと眺めることができる。

日の出と共に僕たちは目を覚まし、
日の照りつける間は活動的に行動し、
日の入りと共に休息に入っていく。

そしてまた翌日には日の出と共に目を覚まし、新たな一日を始める。

こうして僕たちは太陽の動きと共に行動をしている。

日が巡っていくその姿を常に目の当たりにしているのだ。

ここまで太陽の動きを明瞭に感じられるのは、
この国が他国に面していない海に浮かぶ孤島だからこそ。

このようにして僕たちは、
「1年」と「1日」という時の巡りを明確に体験している。

それらはこの地球が誕生してから今日まで延々と続いている”地球の鼓動”だ。

その地球の鼓動を、僕たちは時間の区切りとして感じながら生きている。

 

 

この地球上にはこれらを部分的に体感できる国はあるが、
ここまでありありと肌で感じられる国は他にはない。

世界で起こっている現象は、この国には全部ある。

だからここ日本は「地球の縮図」なのだ。

日本人がどの国の文化も容易に受け入れられるのは、
そういったところからきているのかもしれない。

またここまで自然の循環に対して敏感であるのは、
1年を通して季節の変わり目がハッキリしていることと、
この国の地理的な特質がそうさせたのではないかと推測する。

国土全体を大いなる海に囲まれ、
静かに猛る活火山をいくつも抱え、
しばしば力強く躍動するこの大地。

その圧倒的な姿を目の当たりにして生きていれば、
自然に対して畏怖の思いを感じずにはいられない。

だから心からの敬意を表そうと、古来より思考してきたのではないだろうか。

そしてそれこそが、日本人のもつ圧倒的な感受性の源なのではないかと個人的には思っている。

 

そう・・日本人は優しい。

 

日本はどの国よりも思いやりに溢れている。

それは自然をおもんばかるように、
相手の気持ちをおもんばかるその気遣いの思いがそうさせるのだろう。

現代は至るところで腐敗した様子を感じることもある。

イジメや暴力、無関心や無慈悲な態度、
また個人の利益ばかりを追求するその姿勢。

そんな人々の姿を目の当たりして愕然とすることもたしかにある。

けれど、それでも、根本的にこの国は優しい国なのだ。

この国で生きていて「野垂れ死ぬ」なんてことはまずもってない。

誰かが心底困っている時には、
必ずどこかの誰かが手を差し伸べてくれるからだ。

自分から助けを求めればだいたい誰かが助けてくれる。

それが自分のエゴによるものでなければ、
決してそのまま死にまで至ってしまうことはない。

 

つまりはどんな問題であっても『なんとかなる』のだ。

 

自分には到底乗り越えられそうもない困難も、
自分一人ではもはや抱えきれないほどの問題も、
最終的にはどうにかなるようにできている。

困った時には人が助けてくれるからだ。

だから困難や問題のせいで死を心配する必要など、この国ではないのだ。

どれだけ自分がキツくて辛い状況にあったとしても、まあ、死ぬことはない。

だって、ここは、日本なんだから。

 

 

僕たちはどんな無茶だってやればいいのだ。

別にちゃんと生きる必要なんてない。

人生なんてメチャクチャでいい。

思った時に思ったことをやればいいのだ。

もしもヤバくなっても、その時はきっと誰かが助けてくれる。

この国は優しいから。

一人きりでどうしようもなく死にたいと思っているのなら、
もう「ちゃんと生きること」を辞めてしまえばいい。

ムカつく奴は殴ればいいし、鬱陶しい奴はシカトすればいい。

自分一人が我慢を背負い込む必要なんて、もうないんだ。

たとえそうすることで社会のレールから外れてしまっても、大丈夫。

どの道を進もうが最終的にはなんとかなるようになっている。

 

だって、ここは、日本なんだから。

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