2021/08/23
『威圧』とは・・
小さい頃は父親が怖かった。
いつも母親と喧嘩をしていて、
ベッドに入ると隣の部屋から怒号が聞こえてきた。
母親も相当頑固な性格なので、
お互いに一歩も譲らないのだ。
一番怖かったのは車で出かけた時だ。
短気な父は、運転するとすぐにイライラし始める。
そうなると「あおり運転」なんて当たり前。
前を走っている車が少しでも遅ければ、
「どけ!」と言わんばかりに大きなクラションを鳴らす始末。
過去、子供ながらに真の恐怖を感じたのは、
父が路面電車の線路を車で暴走した時だ。
いつもは渋滞などしない道が原因不明の大渋滞を起こし、
予定が大幅に狂った父のイライラはピークに達していた。
最初は「パパァー!」とクラクションを鳴らすに留まっていた。
しかしそれでも一向に状況が改善しないと見るや、
道路の真ん中を走る路面電車用の線路に飛び出し、
アクセル全開で渋滞する数十台の車をごぼう抜きしたのだ。
あれはマジで怖かった。
もしも路面電車が走ってきたら、
僕たちの車と電車は正面衝突を起こす。
母親の「ギャーーー!」と言う悲鳴とは逆に、
僕は歯を喰いしばって衝撃に備えたのだった。
そんな気が短い父は躾も厳しかった。
勉強をしろとは一度も言わなかったが、
礼儀に関してはかなり厳しかった。
特に、ご飯の食べ方については、
相当細かく言われた記憶がある。
「クチャクチャ噛むな」は当然、
「箸の持ち方が汚い」
「箸で皿を引き寄せるな」
「姿勢が悪い」
どうしてもご飯をこぼしてしまう僕に対し、
「こぼすなら、もう二度と飯を食うな」
と父は言った。
その中でも、一番記憶に残っているのは、
初めて家族で外食した時に父に言われた言葉だ。
「いいか? 絶対に大人しくしてろよ。
もし騒いだりダダをこねたりしたら、
もう二度と連れてきてやらないぞ」
あれは躾というより、むしろ「脅迫」に近かったように思う。
ただ、この父の厳しい躾のお陰で、
僕は一定程度の常識と、人様への迷惑を考えられる大人になった。
こうして、今度は自分が大人になってみると、
公共の場で騒いでいる子供が気になってしまう。
電車の中を走り回っている子供や、
靴のままシートに上がり飛び跳ねている子供を見ると、
「甘やかされてんな」などと思う。
子供に対する軽蔑ではなく、親の躾に対する軽蔑だ。
同じく冷ややかな視線を向けている周りの人を見ると、
きっと僕と同じ気持ちなのだろうと思う。
「ちゃんと注意しろよな」という事だ。
だけど、あの親が子供を注意しないのは、
いい加減な躾をしているからなのだろうか?
周りの人に向けられた冷ややかな視線を、
あの親は気づいていないのだろうか?
むしろ痛いほどの視線を受け止めつつも、
あえて子供に注意していないのではなかろうか。
子供の「素直な気持ち」を尊重する為に・・
仮にそうだとすると、
強い覚悟をもって子育てしている親だと言える。
人様にどう思われようが、
自分が良いと思う躾を貫いている訳だから。
人様から降り注ぐ「視線の刃」を、
受け止める覚悟をもっている訳だから。
ならば、あの時に僕が受けた「脅迫」は、
僕の将来を案じた躾の為だったのだろうか?
圧倒的強い立場から、
圧倒的弱い立場の物を威圧するような言い方は、
相手の為を思うが故の行動なのだろうか?
人が人を威圧する時・・それは、
「100%相手の事だけを考えた行動」なのだろうか?
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