2021/08/23
あんな大人にはならない
『怒り』について・・
10日ほど、怒りについて書いてきた。
そろそろ次のテーマに移ろうかと思い、
最後に何を書くかを考えた。
そこで、過去を振り返ってみたところ、
とても鮮明な一つの記憶が出てきた。
小学生の時の記憶だ。
あれは3年生の時だったと思う。
僕の通っていた小学校は、
家から徒歩30分ほどの場所にあった。
田舎の学校は、一つの学校の学校区が広いので、
僕よりもさらに遠い所から通っていた子もいた。
通学する時は数人でまとまった「班」になり、
みんなで集合してから学校に向かっていた。
その同じ班に同級生の男の子がいたのだけど、
ある時に彼が、暑い時期にも関わらず、ジャケットを羽織っていた。
しかもその日だけではなく、次の日も、またその次の日も、
彼はジャケットを羽織って集合場所に現れた。
そしてダラダラと汗をかいて、毎日通学していたのだった。
僕は当然の質問をした。
「どうして、暑いのにジャケットを着てるの?」
すると彼は「いや、別に・・」と言って、
羽織っていたジャケットをランドセルにしまった。
僕はその行動を気にも留めなかった。
だけど次の日の朝・・
いつもの集合場所に着くと、
そこには彼と彼のお母さんがいた。
そして彼のお母さんは、僕を見つけるや否や、
ものすごい剣幕で怒鳴り散らした。
「あんた、この子に昨日、
”どうしてジャケット着てるの?”
って聞いたらしいね。
風邪を引いてるからだよ!
あんたがこの子に変なこと聞いたせいで、
この子がジャケットを着ていくのを嫌がったじゃないの!
風邪が悪化したらどうしてくれるのよ!!
もう二度とこの子に変なこと言わないでよね!」
彼のお母さんは一方的にそう言うと、
彼に向かって「行ってやったぞ」という顔をして、
満足そうに帰って行った。
あれは本当に卑怯だと思う。
大人という圧倒的に強い立場から、
子供という圧倒的に弱い立場の人間に、
自分の考えを一方的に主張する。
こっちの主張を聞くことすらせず、
自分の言いたいことを言えたら、それで満足。
自分の思い込みを疑うこともなく、
自分の子は絶対に被害者で、僕は絶対に加害者。
きっと彼が、自分が被害者になるように、
母親に出来事を報告したのだとは思う。
だけどそうだとしても、僕はこう思ったのだ。
”あんな大人には絶対にならない”
この思いだけは今でも忘れてないし、
あれからずっと自分への「誓い」として心に刻まれている。
今こうしてこの出来事を振り返ってみた時、
彼の母親に言いたい言葉は何だろうと考えた。
すると、「感謝しています」という言葉が思い浮かんだ。
あの時、彼の母親が一方的な怒りをぶつけてくれたことで、
僕は圧倒的に傷つくことができた。
大人になっても忘れられない傷を負うことができた。
そのおかげで『結果的に』、
あんな大人にはならないという誓いは、
あれから決して破られることはなかった。
だから感謝したいと思ったのかもしれない。
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