2021/05/28

いわば、理由なき反抗

 

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みんな横並び。足並みを揃えて。全員一つの方向を向いて。

子供の頃から、そういうのが大嫌いでした。仲の良い友達であっても、そのての活動をともにすると、途端に嫌いになった。

なぜなら一対一で接する時の顔と、集団の中で接する時の友達の顔は、まったく別物であるから。あれほど気の合った友達が、集団の中で話すと途端に冷たくなる。

「いやいや、それは違うよ」

二人でいる時は僕の意見を否定などしなかったのに、みんなの前ではやたらと周りに同調意見を示し、そして嘲笑を浴びせてくる。周りが真の友達であると誇示せんばかりに、やたらと周囲に笑顔を振りまき、こちらを見下したような目で見てくる。

大人になってから気づきましたが、それは「怖れ」からくるものでした。

人は一人になることが怖い。

自分が周りからハブられるかもしれないと不安になり、集団の中に入った時は、集団心理の方に合わせてしまう。周りが誰か一人のことを「おかしい」と言い出せば、自分も一緒になって「おかしい」と言ってしまう。そうしなければ自分も「おかしい側」に分類されてしまうから。

だから友達はそんな態度になったのかもしれない。つまり友達は、集団心理に合わせられるタイプだったということ。

今思えば、友達はまったく悪くはない。誰もが一人になるのは怖い。マイノリティにはなりたくないだろう。

僕は周りに合わせられなかった。だから自然と一人になっていった。

 

 

しかしいつからか、こんなふうに思うようになった。

”そうか。自分の人間性と合っていないのに、無理に集団に溶け込もうとするから、両者に軋轢が生ずるのか”

合わない価値観同士がくっつこうとすると、自分だけでなく、相手側も困ってしまう。だから意図せず傷つけるような言動を他方に放ってしまう。不自然な状態にお互いが違和感を感じ、それに耐えられなくなってしまうから。

別に誰も悪くはなかった。これは単なる『生き方の違い』だったのだ。

子供の頃は空気が読めないのだと思っていましたが、自分はただ、ありのままの自分でいたい。自分の気持ちに嘘をつきたくない。その思いを貫きたいという、ただそれだけのことだった。ということに気がつきました。

思えば小さい頃から誰の言うことも聞かない子供でした。

けれども物心がついてくると、周りに合わせなければいけない。みんなと同じ子供にならなればいけない。そういう不安に駆られ、必死に周りに溶け込もうと、ひたすら自分の意思を殺していました。

つまりは、そっちの方が不自然だったんですね。

元来は言うことを聞かない人間。決して自分の意思を曲げない人間。それが、自分という人間の正体だったのです。

 

もともとそういう人間だったのだから仕方がありません。

僕は情報や周りの意見にとらわれることなく、自分の感性を信じ、自分の意思を大切にして、このコロナ禍を生きていきます。

なぜそうしたいのかは自分にも分かりません。

これはいわば、理由なき反抗です。

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