この壁を越えたなら

 

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もしも人生において越えなければいけない壁が誰しもにやってくるのだとしたら、きっと自分にとっての今が、そうなのだと思う。少なくとも作家として売れっ子になるためには。

これまでにも幾度となく高い壁を乗り越えてきたつもりだった。こんなにも大変なことはこの先もう無いだろう、あれほどの苦しみを味わうのはおそらくこれが最後になるだろう、と。そう思ってやってきたけれど、人生は、まだまだ自分を楽しませてくれるらしい。

こんなにも高く、そして険しい壁に出くわしたことはなかった。

いや、出くわした、なんて言うとたまたま現れたみたいに聞こえてしまう。これは自分から望んでそうなったこと。まさに自業自得によって与えられた苦しみであり、弱音を吐くのはちょっと滑稽かもしれない。自分から登っておいて「もう無理」だなんて、だったらハナから行くんじゃねえよ、と誰もがそう思うだろう。

けれどもそこに至るまでに分岐点があって、片方は高い壁を登る苦しみで、もう片方は自分の気持ちに嘘をつく苦しみで、どちらにしても苦しいのなら幼少期から夢見た方にしよう。と考えるのは、わりと自然なことではないかと自分では思う。もちろん壁を越える方は、ただ耐える苦しみだけに留まらないのだけど。

到底見えないし、また見当もつかないけど、この壁を乗り越えたなら、そこには一体、何が待っているのだろうか?

自分がもう少し若かったらば、きっと「最高の景色」とか言っちゃってたんだろうと思う。あるいは底抜けにポジティブな人間だったらば、もしかして「幸福」なんて概念を持ち出してしまったかもしれない。感じることは個人によってそれぞれなので否定するつもりはないが、四十を前にした自分がそんなことを言っていたら、自分で自分をちょっと笑ってしまう。

「そんなわけないだろう」と。

なぜならば過去にも同じようなことがもう何度もあったのだ。この壁を乗り越えたならきっと自分は幸せになれる、もう二度と苦しむが訪れることはないだろうと、そんな思いを胸に必死に頑張ってきたからこその今がある。高い壁を越えることなどこれが初めてではないのだ。

また乗り越えた経験も一度や二度では足りない。己のゆく道に立ち塞がる壁は、一定の周期で必ず目の前に表れ、漏れなく僕の希望を一度は粉々に打ち砕いた。もう二度と立ち上がれないと思うほどの挫折を味わわせた。その無機質で冷たい温度とともに。

しかもそれらは、自分が望んだからこそ表れた壁に他ならない。まったくもってバカげた話である。自分で自分を苦しめて、弱音を吐いて、一体自分は何をやっているのだろうか? はたから見ればどうにも滑稽に見えるだろう。

けれど、やはり今回も僕は、諦めたくない。

どうしてもこの壁を越えた先にある景色を見てみたい。

そう、分かっている。どうせ素晴らしい景色を拝めたとしても、それはほんのいっときのことで、またさらに先へと歩みを進め、またそこに表れた壁と対峙することになるだけだと。結局は死ぬまで同じことを繰り返しているのだろう、この人生は。自分の気持ちに嘘がつけない、どうしようもなく不器用な人間なのだから。

だからこの壁を越えたなら、またさらに高い壁が待っていることを、僕は知っている。

けれどそれでも、この壁を越えた先にある景色を見たいというその気持ちに、嘘はつきたくない。

だから今日も、登る。明日も登る。あさっても、その次の日も、そして次の日も次の日も、ずーっと。

じゃあ、自分は一体、いつ幸せになれるんだ? と思ってしまうけれど、上記の仕組みが分かっていれば、答えは自ずと明確になる。つまりは、こうして壁に挑み続けられている今日という日が、もう既に幸せなのだ。

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