2020/12/29

この街の不動産屋さん 10

 

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 「お帰りなさい、パパ!」

 高杉がただいまを言う間もなく娘が抱きついてきた。ここ数ヶ月の思いが一挙に詰まっているのだろう。

 「待っててくれたか、櫻。本当によく辛抱してくれたな」

 貼りつけてあった経営者の仮面を脱ぎ捨て、思う存分に娘を抱きしめる。我が子の温もりが身体中に染み渡っていくようだった。

 「ママがね、パパは街を明るくしてるんやって。めっちゃ大事な任務をまかされたヒーローなんやって。そう教えてくれてたから、全然平気やったよ」

 また随分と飛躍させたものだ、と高杉は思った。

 街を明るくはそうかもしれないが、国の機関から通達されたわけでもなければ、都市開発を請け負った大手のデベロッパーでもない。自分はテナントに小さな店を構える街のいち不動産屋でしかない。娘の為とはいえ、まったく沙知も大風呂敷を広げたものである。

 「櫻が辛抱してくれたから、パパは思いっきり任務に集中することができたよ。櫻は本当に強い子だ」

 娘の頭を撫でながら取り置いていた言葉を伝えた。実際、我が子ながら本当に強い子供だと思う。一人娘であるこの子が寂しくないわけがない。駄々の一つくらいこねるのがむしろ当然だと思う。

 櫻のわがままに困らされた記憶はほとんどない。いつも親の状況を慮ってくれるようなところがある。ただ、あまりに人の顔色をうかがってしまうのは、親としては少し心配なところでもある。

 「もう準備できてるねん。早く三人で食べよう」

 そう言って高杉の腕をぐいと引っ張っていく娘。リビングの扉を開けると、チゲ鍋独特の食欲をそそる刺激的な香りが漂ってきた。

 「おお、無事に帰って来た。良かった良かった」

 いつもの調子で迎えてくれた妻は、食卓に小皿を並べているところだった。中央にはカセットコンロに乗った土鍋がぐつぐつと湯気を立てている。待たせて申し訳ない気持ちと溢れ出る食欲が背広のまま席に座らせる。

 「あかんあかん。先に着替えておいで」

 「いいじゃないか。とりあえず乾杯だけしよう。これはもうたまらんよ」

 「なんやもう、子供みたいなこと言うて。しゃあないな。ビール持ってくるわ」

 そう言って冷蔵庫の方へと引き返す妻。

 「パパ、辛抱が足らんよ」

 「ああ本当だな。櫻にはできたのに、パパにはできなかった」

 「やけどまあ、今日はパパの大好物やし、仕方ないね。はい、どうぞ」

 テーブルの端にあったグラスを手渡してくれる娘。

 「ありがとう」

 本当に優しい子だ。

 「はいはい、じゃあビールは櫻に渡すで。もうちょっとで出来上がるから」

 妻はよく冷えた銀の缶を娘に手渡した。

 「おっ、まさか櫻が蓋を開けてくれるのか?」

 「そうやで。櫻な、開けられるようになったんやで」

 「すごいな櫻。じゃあ、お言葉に甘えて」

 高杉は娘の前に傾けたグラスを差し出した。

 「いくで。せーの」

 プシュッ、よりも濁音のついた音と共に白い泡が勢いよく飛び散った。

 「うわぁ、冷たい!」

 「おわっ、激しいな」

 顔を目がけて飛んできた泡はほんの一時、二人から視界を奪う。

 「ごめんごめん! たぶんそれ、落としたやつや。そのまま冷蔵庫に入れちゃってたわ」

 閉じた瞼の向こう側で妻が平謝りする様子が浮かぶ。

 「ママ~もう。勘弁してよ」

 「あははは、熱い鍋を食べる前にちょうどええよ」

 「初めてやったからうまくやりたかったのに」

 「まあまあ。でも忘れられない良い思い出になったよ」

 そうして娘が目を点にしながらゆっくりとビールを注ぐ姿に高杉は見入った。感慨深いものがこみ上げてくる。

 それを振り切るようにして娘から缶を預かると、そのまま向かいの席に座った妻に差し出した。

 「ああ、ありがとう」

 「こちらこそです。いつもありがとう」

 注いだ缶を置き、両手を合わせていただきますを言おうとしたところで、妻がぽつりと呟いた。

 「ご苦労様でした」

 その言葉を聞いた瞬間、これまでの苦労がすべて報われたような気がした。

 本当に怒涛のような半年間だった。これまでの人生でもっとも濃く、そしてもっとも長い半年だった。

 営業を開始した店舗は起動に乘るまでがしばらく忙しい。それは当然のことではあったが、通常の不動産屋の営業に加えてレペゼン堀江も並行して進めていたために、その過密さは、当初の高杉の想像をはるかに凌駕するものであった。

 とても家庭を省みる余裕などなかった。

 すべてを汲み取ってくれた妻の沙知には心から感謝している。

 「これからは少しゆっくりできるようになるん?」

 白菜キムチを口に運びながら沙知が聞いた。

 「そうだね。もちろんまだ忙しいのは続くけど、ひとまずは形になったから、少しペースを落として進めていくよ。ずっと全速力では走れないしね」

 豚バラ肉を口いっぱいに頬張った高杉が答える。

 「じゃあまた三人でご飯食べれるん? 嬉しいわ」

 櫻が満面の笑みを浮かべて言った。やはり本当は寂しかったのだ。

 「二人がパパを見守ってくれてたからな。これからは、パパもちゃんと二人のことを見守っていくよ」

 そう言って高杉は妻と子の目を交互に見つめた。この微笑みが半年間の苦労をどこかへ吹っ飛ばしてくれる。かけがえのない時間を与えてくれるこの二人が心底愛おしい。

 ただ今日は、こうなることを信じて駆け抜けてきた自分自身にも、労いの言葉をかけてやりたい。

 

 

 「おはようございます。今日も爽やかな朝ですね」

 川上の元気な声が高杉を出迎えた。この娘の底抜けの明るさも朝といい勝負である。

 「おはようございます」「おはようございます」

 瀬下と大沢の二重唱が店内に響いた。最近はこうして高杉が最後になることが多くなった。

 別に重役出勤を気取っているわけではない。社長である自分が早く出社してしまうと、より早く出社しなければという焦燥感を三人に与えてしまうからだ。無用なプレッシャーを与える必要はない。

 「おはよう。なんだか三人とも楽しそうだな」

 カウンター内に溢れる嬉々とした雰囲気を感じ取った高杉が問いを投げた。

 「そりゃあ楽しいですよ。ようやく良い流れに乗れたんですから」

 川上が笑顔で答える。

 「やっと本来やりたかったことが実現できる気がします」

 大沢の顔にも笑顔が溢れている。

 「最初はどうなるかと思いましたが、ここまでやってきて本当に良かったです。僕たちが挨拶回りをしていた最初の一ヶ月間は本当にさっぱりでしたからね」

 「そうですよ、まったく。マジで社長のアイディア、大丈夫? って疑いたくなっちゃいました。いや正直言うと少し疑ってました」

 「あはは、まったく素直な従業員だよ。けれどまさか俺も、半年で第二段階までこれるとは思っていなかった。これもひとえに君たちの頑張りのお陰です。ありがとうございます」

 高杉は二人に頭を垂れた。こういう気持ちは素直に伝えるべきだと彼は思っている。

 「いやいやいや、私たちはただ社長に言われた通りに動いただけですよ」

 「そうですよ。進むべき道が明確でしたから、僕たちはそれに従っただけです。こちらこそ、こんな素晴らしいプロジェクトに携わらせていただき、本当にありがとうございます」

 恐縮した二人は逆に低頭してしまった。

 「まあプロジェクトはまだ完遂したわけじゃないですから、むしろここから、また気合いを入れ直して頑張りましょう」

 瀬下が参謀らしくまとめた。

 「今日は昼から打ち合わせでしたよね?」

~続く~

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