2020/12/23

この街の不動産屋さん 2

 

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 遠くの方で鳥のさえずりが聞こえる。机の上に転がったスマートフォンに触れるとまだ七時前だった。アラームが鳴る前に目覚めたことで少し損をした気分になる。

 椅子から立ち上がって思い切り伸びをすると、高杉は銭湯に行く準備を始めた。彼らが出勤するまでに人前に出られる身なりに仕上げておかなければならない。

 バックヤードに設置されたロッカーの扉を開けると、コンビニの袋から昨日買っておいた下着と靴下を取り出した。手慣れた動作で封を切る。それらを帆布のトートバッグへと無造作に放り込むと、鞄から財布とキーケースを攫って足早に店を出た。

 堀江の街はすっかり閑静を取り戻していた。ビルの窓から覗いていた洋服や家具たちは今は影を潜めている。

 通りを歩く人の数はまばらだが、車は高杉の背中をびゅんびゅんと追い越していく。大阪駅近くまで一方通行が続く四ツ橋筋では、タクシーと営業車が入り混じって朝のレースを繰り広げている。市内の道路であまり初心者マークを見かけないのも当然だろう。初陣がこんな様子ではトラウマになってしまう。

 ビルの切れ目から差し込んだ朝日に思わず左手をかざした。薄目を開けた右の瞼から入る日差しが身体中に染みわたる。ゆっくりと血が通っていくような感覚を覚えた。

 高杉は心地良い疲労感に包まれていた。

 これほど充実した一週間は新入社員の時以来だ。何もかもが新鮮で、何もかもが希望に満ちている。

 時折感じる不安さえも、後に訪れる歓喜のお膳立てに過ぎないのではないかと思えてくる。メインディッシュをもっとも良く味わうための前菜のようなものではないか。それがあるからこそ喜びの味がより一層引き立つのだろう。

 

 

 「社長って、どうやってこのアイディアを思いついたんですかね?」

 小首を傾げながら川上恵子が言った。小麦色に焼けた頬っぺたに人差し指をちょこんとあてて窪みを作っている。こういう仕草に嫌味を感じないのは元気娘の印象が前面に出ているからだろう。

 「さあ、どうなんでしょう? 最初は古臭い印象も受けたんですけど、よくよく聞いてみると新しいですよね」

 横並びに歩いている大沢慎一郎もその答えを知らなかった。不動産業界でのキャリアは四年目になるが、同じものは見たことがなかった。

 「街をレペゼンする不動産屋。たしかに響きは面白いけど、お客さんからの需要はあるのかな?」

 二十四才の川上には「レペゼン」という言葉はすんなりと耳に入ってきた。「レペゼンする=紹介する」というニュアンスのこの言葉は、たしかに空き物件を紹介する不動産屋にはふさわしい。けれども物件が建っている街ごと紹介するというのは少しイメージが湧かない。まさか観光案内所でもあるまいし。

 「お帰りなさい」

 カウンターの内側で業務をこなしていた瀬下孝史が声を上げた。店の入り口の正面に座っていたので二人を出迎えた格好になった。恐縮した二人が只今戻りましたと言いながら小走りでバックヤードに向かう。間仕切りの奥に入ると、黙々とパソコンと向き合う高杉社長の後ろ姿があった。

 「おお、どうでしたか?」高杉は開口一番に報告を求めた。

 「反応はとても良いです。話に食いついてくる店主もたくさんいます」

 「それは何よりですね。川上さんの方も同様ですか?」

 「はい。興味を持ってくれる人はたくさんいます。それは面白そうだねと。ただ・・」

 「ただ?」

 「私の話が下手だからだと思うんですけど、詳しく説明すると”ちょっと面倒そうだな”と言われてしまうんです」

 川上は少しばつが悪そうに答えた。自分の力不足が原因だとは思うが、店主が見せる反応は判を押したように毎回同じだった。ここまでくると話術の問題だけではないような気がしてくる。

 「まあまだ効果が分からないから、そう言われるのも仕方がないだろうね。最初は地道に増やしていくしかないかもしれない」

 「やっぱりそうですよね。でも、このサイトって本当に需要・・」

 川上が言いかけると店の入り口の扉が開いた。

 「いらっしゃいませ。今日は何をお探しですか?」

 「ああっ、すいません。お客じゃないんですけど・・」

 瀬下の問いかけに女性は顔の前で右手を振って答えた。左手にはスマートフォンを握っている。

 「どうされましたか?」

 「ちょっと道をお尋ねしたいんです。ここに行きたいんですけど・・」

 瀬下は女性から手渡されたスマートフォンの画面を食い入るように見た。

 「ふむふむ・・なるほど。こんなアバウトな地図では分からないですよね」

 「そうなんですよ。もうちんぷんかんぷんで」

 瀬下はカウンターの外側に出ると店の外を指し示した。

 「このお店でしたら、そこの通りを真っ直ぐに進んで下さい。そして三つ目の道を右に曲がってしばらく歩くと、左手に洋館のような少し古びたビルが見えてきます。そのビルの五階にこのネイルショップが入っていますので」

 「ああ、とても分かりやすいです。助かりました。さすが不動産屋さんですね」

 「この街のことは熟知していますので。また何か困ったことがあればお気軽にお立ち寄り下さい」

 「ありがとうございました」女性は満足気に店を後にした。

 一部始終を見ていた川上が、その大きな目をさらに見開いて言った。

 「瀬下さん、凄いです! よくあんなネイルショップの場所まで知っていますね」

 「そりゃあ知っていますよ」

 「もしかして瀬下さんがテナントを紹介したんですか?」

 「いいえ」

 「えっ、じゃあどうして知ってるんですか?」

 「それが仕事だからですよ」

 「仕事? ですか・・」

 川上が腑に落ちない顔をしていると、高杉がバックヤードから出てきた。

 「川上さん、この店で働き出してから、これまで何回道を聞かれましたか?」

 「えっ? うーんと、もう数え切れないくらいです。一日一回は必ず聞かれますね。一階だから入ってきやすいのかも」

 「ふむふむ」

 「正直に言うと、たまに”自分で調べんかい!”と思ってしまう時もあります」

 「その辺の不動産屋はみんな、そう思っているでしょうね」

 「いや、誰だってそう思いますよ。道案内は私たちの仕事じゃないですもん。お金を貰っているわけでもないし」

 川上は素直な子だな、と高杉は思った。自分の印象が悪く映ってしまうかもしれないという、社長を前にした計算はまったく働いていないらしい。その正直さがかえって好印象を抱かせる。

 「そう。どの不動産屋も好意で道案内をしています。けれどもどうして、不動産屋に道を尋ねてくるのだと思いますか?」

 「それは・・まあ不動産屋だから、街のことに詳しいと思っているんじゃないですか?」

 「そういうことです。だから”レペゼン堀江”なんですよ」

 「・・あっ、そうか。そういうことか。なるほど」

 「不動産屋がその街のことに詳しいと認識されているのは、昔は、実際にそうだったからです。どこの街にも”街の不動産屋さん”みたいなところがありました。残念ながらそれらは、ほとんど大手のフランチャイズに吸収されて、今ではかなり少なくなってしまいましたが」

 「それを復活させるんですか?」

 「同じ形で復活させてもまず失敗に終わるでしょう。淘汰されたのは時代の流れですから。ただ単に復活させるのではなく、この時代に合わせた形に進化させる必要があります」

 「それが街全体をレペゼンするってことですか?」

 「そうです。街のことに詳しい不動産屋が率先してこの街を日本全国に紹介するんです」

 「えぇ? なんだか規模が大きい話ですね」

 「これは冗談でもなんでもありません。実は、我が社のお客さんは世界中にいるんです」

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