2020/12/23

この街の不動産屋さん 3

 

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 店のガラス越しに見える堀江の街はすっかり夕方の装いに包まれていた。ビルの各階のテナントには明かりが灯り、帰路につこうと歩き始めた人々の物欲を刺激している。

 見上げた窓からちらりと覗く洋服や家具たちは新たな出会いを予感させてくれる。全体を見通すことができない、というところがみそなのかもしれない。偶然の出会いほど運命を感じさせてくれるものはない。求める商品を”検索”で即座に見つけられる時代であっても、出会いにときめきを求めるのは恋愛だけではないはずだ。

 入り口が開けっ放しになった通り沿いのスペインバルからは、男女の賑やかな話し声と鉄板に乗ったリブロースステーキの音が聞こえてくる。炭火にかかった野菜や白身魚から上がる煙が、キッチンの小窓を通り、もくもく空へと立ち昇っていく。香りにつられた四人組のサラリーマンが小躍りして入り口の敷居を跨ぐのが見えた。

 昼間に行列を作っていたパティスリーには既にシャッターが下りている。通りからでは伺い知れないが、店の奥がほのかに明るいことから人の気配が感じられる。ガラスケースを彩るケーキや焼き菓子の支度が進められているのだろうか。あるいは明日を夢見る職人の技術が磨かれているのだろうか。きっとこの時間の積み重ねが、店の前に行列を並ばせるのであろう。

 目的もなく通りをただ歩いているだけでも気分が高揚してくる。こうして堀江の街は、訪れた買い物客たちの舞台を演出しているのだ。

 「いや、私はこっちの部屋の方がいいと思うんですよ」

 物思いにふける高杉を呼び起こすように興奮した声が聞こえてきた。川上恵子が接客のロールプレイングをしていたことを思い出した。

 「でも僕はやっぱりこの部屋が気になるんですよね・・」

 大沢慎一郎が客の役をやっている。三年の業界経験をもつ大沢なら様々なケースを演じることができるだろう。今回は本人の性格そのままに大らかな人格を演じているらしい。川上の悪い癖を引き出すためだろう。

 「だけどこの物件の方が築年数も新しいですし、室内設備のグレードもあきらかに勝ります。同じ家賃ならば、どう考えてもこの物件の方が良くありませんか?」

 「そうですね。ただ部屋はこちらの物件の方が少し広いんですよね?」

 「広いと言っても一帖(じょう)しか変わりませんよ。それよりも新しさと部屋のグレードの方が重要じゃないですか」

 「まあ、そう言われたらそうかもしれません」

 「絶対にこちらを選ぶべきですよ」

 川上の声がかなり大きくなってきた。もはや激昂寸前といっていい。

 「うーん・・ちょっとゆっくり考えさせて下さい」

 大沢は客が断る際の常套句を述べた。次があることをやんわりと匂わせるのは店のスタッフを傷つけないためだ。答えは既に出ているだろう。

 「どうしてですか? だってもうあきらかに・・」

 「はい、そこまでです。お疲れ様でした」

 必死にクリンチを続けるボクサーの間に割って入る審判のように瀬下孝史がロールプレイングを止めた。これ以上続けていたらついに川上が怒り出しかねない。本人の自覚を促すにはぎりぎりのところだったかもしれない。相変わらず瀬下の判断は的確だ。

 

〜続く〜

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