2022/06/27
ずっとマッチを追いかけている
ふいにやってくる猛暑の日々。梅雨入り宣言は口だけだったのか。主夫としては洗濯するのに喜ばしい限りではあるが。
寝てばかりの休日を過ごした。美味しい酒を飲み好きな映画を観て昼寝したらもうこんな時間。一日が無駄に思えてしまうが、こうしていい加減なのがいい。頭脳を酷使する読書が続いていたもの。何も考えない一日が必要だった。おかげでこんな時間からパソコンに向かっている始末。頭を休ませるためにも手短に綴ろうと思う。
おぼろげながら予感めいたものが兆している。描こうとする世界観、命題、その方向性。
それは同時に決別をも意味している。去年一年かけて施してきた処女作になるはずだった原稿。既に10万字くらいは綴ったが、どうやらまたも没になるようである。「書くべきはこれか」という新たな予感の方に従うのであれば⋯⋯。
別にベストな作品を生もうというのではない。ベストなど書く度に更新されるもの。追っていたらキリがない。むしろ発表し続けることで成すべきものだ。ベストを認識してしまったら執筆意欲は消えていくのではないかと思う。まだその境地にはほど遠く単なる推量でしかないが。
ベストを追いかけているのではなく、〝マッチ〟を追いかけている。
これが自分の創るべき世界観だ、としっくりくるものが得られるのを、じりじりしながらも待っている。その感覚が得られた方向性に向かって今後執筆していく意志だから。それさえ決まれば、その方向性にさえ沿っていれば、作品のクオリティは問題にはならない。それこそ、ベストは発表し続けることで成すべきものだから。佳作だろうがなんだろうが、一度出してみないことにはどうにもならない。これまでもずっとそうしてきたし、これからもそうするつもり。
ただクオリティは別として、今の自分のベストが尽くせていなければ、たとえ秀作であっても発表はできない。それは妥協ですらもない単なる怠惰だから。自分なりにきっちり完成させたうえでなければ出版には至れない。そうでなければ、寄せられた読者の期待を裏切ることになる。現実に相手がそう感じているかいないかの問題ではなく、自分の心の問題。要するに、作家として堂々と胸を張れるのかどうかの話。
その怠惰な姿勢は、どれだけうまく隠したところで必ず相手にバレるものだと個人的には思っている。どのみち最後には読み手へと伝わってしまう。不思議なものだけど、言葉(文字)にはその者の姿勢が込められてしまい、そしてそれはおのずから表見してしまうものだから。
まだ『これだ』といえるほどしっくりくるものを得ていない。だから、今の段階では、どの原稿も処女作として発表するわけにはいかない。
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