2021/08/23

その「概念」との出会い

 

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テーマ:謙遜

 

「謙遜」という概念に対して、
最初に違和感を感じたのは学生の時だった。

超がつくほどの田舎で育った環境のおかげで、
小さい頃近所の子供達はみんな顔見知りの存在だった。

小学生くらいまでは近所のみんなで遊んでいた記憶がある。

誰からともなく大きな広場に集合し、
隠れんぼや鬼ごっこをして遊んでいた。

当時はお互いの年齢なんて全く気にしていなかった。

あの二人が兄妹であっちがお兄ちゃん、という程度の年齢意識だったと思う。

その近所の子供達の中で、僕が一番仲が良かったのは一つ年上の男の子だった。

よく相手の家に遊びに行って一緒にファミコンをした思い出がある。

もちろん敬語など使うはずもなく、
「◯◯君」と呼んでタメ口で会話をしていた。

ところが、ある時を境にしてこの関係はギクシャクし始めた。

相手が中学に上がり、先輩・後輩という「概念」に出会ってからだ。

最初、僕はどうして相手が自分に対してぎこちなくなったのか、その原因がサッパリ分からなかった。

僕はまだその「概念」と出会っていなかったから。

けれども翌年に自分も中学に上がったことで原因がハッキリと分かった。

僕自身も、年齢だけで上下関係を設けるその「概念」と出会ったからだ。

 

 

きっと僕たちだけの問題だったならば、この関係は壊れはしなかったと思う。

相手もタメ口がどうとか、呼び方がどうとか、
そんなことは別に気にしていなかったように思う。

この関係の問題は、
”周りからどう見られるか?”という一点に尽きた。

僕が相手とタメ口で会話をすることで、周りが、
「えっ、なんでアイツ、先輩とタメ口で喋ってんの?? なんだか生意気な奴だな」
という目で僕を睨みつけてくる。

実際に誰もが恐れる怖い先輩から脅しをかけられたこともあった。

また僕が相手にタメ口を聞くことで、
「アイツって、しょぼい奴だな」
と相手が後輩たちからナメられるという弊害もあった。

その概念を否定すると、お互いが不利益を被ることになってしまうのだった。

だから僕たちは、どちらからともなく相手から離れていった。

そうやってお互いが相手を「守る」という心の交流を別れの挨拶としたのだった。

 

 

それ以来、僕はこの概念に憎しみを抱くようになった。

あらかじめ敷かれたレールにいきなり連れて行かれて、
有無を言わさず「歩け!」と強制的に進まされたこの進路。

否定してそのレールから外れようものなら、前から後ろから石が飛んできてとても安全に進むことはできない。

昨日まで同じ目線に立つ仲間だと思っていた連中が、今日からは「監視員」と化してしまう。

そんな理不尽なものがどうして当たり前に蔓延っているのか、と疑念を抱かずにはいられなかった。

「このレールはどこから敷かれているのだろう?」

後ろを振り返って目を凝らしてみても、
そのレールは遥か彼方まで続いていて始発点など見えはしない。

 

「このレールの”始まり”を突き止めたい」

 

それが、謙遜との闘いの始まりだった。

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