2021/08/23
たとえ一人きりになったとしても
今日とある用事で、自転車に乗って少し遠出してきました。グーグルマップの指南からして5kmくらい。
久しぶりの快晴で日光が気持ちよく、少し風もあって、サイクリングには最高の気候でした。30分の距離を往復したけど全然しんどくなかった。
ただ一点だけ気になったことが。
街の目印的な存在だった大きな結婚式場が、今日通った時に見ると、無くなっていました。
正確には解体工事の真っ只中で、通りがかった時にまさに今ブルドーザーの大きなスコップが教会の壁を削りとっていました。「バキバキバキッ!」という轟音とともに建物の様式美がガラクタへと変わっていく。あんなに荘厳な雰囲気の漂っていた敷地はまるで廃棄物処理場のように。
いくつかの式場、チャペル、さらにホテルまでもが完備されていたので、敷地面積はけっこうな広さを誇っていました。それが解体工事の高い壁に囲まれ、まっさらな空き地へといま姿を変えようとしている。
大した思い入れも別にないのですが、なんだか哀愁を感じてしまいました。
実感はなくともたしかに今時代は変わりつつあるのかもしれない・・と。
否応無しに自分と向き合うことを余儀なくされている今。
自分の中にあるのは、「自分らしさとは?」という、その一つの問いです。
ほとんど答えは出ていますが、最後の足かせが、自分らしく生きることを躊躇させます。
『勇気』です。
こんな自分では嫌われてしまうのではないか。
こんな自分になんて誰も見向きもしてくれないのではないか。
そう思ったらなかなか最後の一歩が踏み出せません。踏ん切りがつきません。
これはきっと、他人がどうのこうのではなく、自分の内側に眠る本当の自分自身とどう決着つけるのか? という戦いなのではないか。そんなふうに感じています。
あるサイトの記事で、瀬戸内寂聴さんのこんな言葉を見つけました。
「たとえこの世界でたった一人きりになったとしても、自分という人間を貫けるかどうかが今試されている」
いま自分は、その分岐点に立っている気がします。
関連記事 - Related Posts -
-
2020/07/12
-
主人公「自分」の映画のフィルム
-
2017/12/14
-
日本最高権威の口臭外来を受診
-
2020/10/10
-
論語は相互監視社会を助長する
-
2021/09/18
-
鬱屈としていても正常運転
最新記事 - New Posts -
-
2022/07/04
-
暗い文体こそが作家・大矢慎吾の色
-
2022/07/03
-
たぶん、脳力が必要な創作活動は向いていない
-
2022/07/02
-
「争い」と「制約」が生じるのはなぜか?
-
2022/07/01
-
作家として己の価値観を広げたい