2021/05/28

できない事はやらない人生

 

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数ヶ月前に「料理にハマっている」という記事を書きました。ところが、最近になってハッキリと分かったことがあります。

自分には料理の才能がありません。

もともと、一人暮らしをしていた頃からあまり料理をしませんでした。面倒くさいのもあったんですが、なによりも「興味がない」というのが一番でした。興味がないことに努力を費やしたくはない。たとえ健康や節約のためになろうが、いまいち精進しようという気にはならなかった。

考えてみれば、それが答えだったのでしょう。

つまり興味が湧かないのは、その分野に関する才能が自分には無いということで、精進する気が起こらないのは、そこに過大な努力を必要とするからということ。

才能があるものには努力を必要としない。これは自分の持論です。

才能があれば伸びが早く、成果を手にしやすいから楽しいし、向上心も尽きることがありません。もっと知りたい。もっと上手くなりたい。他人からの強制を必要とせずに自ら前に進んでいくことができます。

そのプロセスは、努力にはあたりません。なぜなら自分がやりたいことをやっているのだから。探究心という己の欲望にただ従っているだけなのです。

 

 

僕は『才能』に関して、とても敏感に生きています。

人は自分の才能にしたがって生きた方が絶対にいい。ずっとそう思って生きてきました。

才能とは、ロウソクの炎のようにはかなく、ささやかなものだと個人的に思っています。

吹きかければたやすく消える灯火。すぐに見えなくなってしまう目印。とにかくその存在がわかりづらく、有るのか、無いのか、ということに確信がもてない。

つまりは最初から圧倒的な成果をもたらしてくれるような代物ではなくて、とても些細で地味なもの。きっと会社なんかではほとんど役に立たないような能力かもしれません。

日本という国は(他の国がどうなのかは知らないけど)、壁を乗り越えることを美徳とする文化があるらしく、「できない」と平気で言う人間は、社会から「逃げている」と糾弾されてしまいます。言い訳をするな、人のせいにするな、と。

それは「忍耐が大切だ」ということを教えてくれているのでしょうが、すべての物事に忍耐力を使っていたら、自分が本来やるべきことが疎かになってしまいます。命は有限。僕たちがこの人生で体験できることは、きっとそう多くはないはず。

だからこそ、もっとも多くの体験が得られることに寿命を使うべき。それがつまり『才能』という話に繋がります。

 

 

人の才能を的確に示してくれる診断表みたいなものがあったら、きっと僕たちの人生はもっと楽しくて、そしてもっと楽だと思う。けれど残念ながら、社会はそういう仕組みにはなっていない。

やりたいか・やりたくないか、なんてことはどうでもよく、必要か・必要でないか、という合理性に基づいて判断が下される。そこから外れないためには、とにかく社会から必要とされる人間であり続けなければいけない。

それを否定する気は毛頭ありません。そうすることで得られる幸福もあるだろうし、それも一つの生き方だと思う。

ただ僕は、人生のかなり早い段階から、できない事に努力を費やすのはやめました。自分ができないと思う事は即座に放棄してきました。これは自分がやるべきことではないな、と。どっちの方が良いかなんて話ではなく、ただ自分はそういう選択をした、というだけです。

 

できない事をできるようにするのではなく、できる事をもっとできるようにする人生。

そうして今、このメッセージを書いています。

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