ときには侮る姿勢も大事では

 

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「屋外では会話をともなわない限りマスクの要件を緩和できる」という政府見解が発表された。具体的には歩行時などがそれに該当するとのこと。

私は、晴天の日はほとんど人通りのない河原をノーマスクでウォーキングしている。もちろんポケットには忍ばせた状態で。そうすると日光を浴びてとても気持ちが良いし、頬をなでていく風も清々しく心地が良い。一人で黙々とウォーキングする分には問題ない気もする。個人的にはオススメなストレス解消法である。

今日も相変わらず読書。ミステリーの女王も残すところ一冊となった。最後は知る人ぞ知る傑作で締めくくる所存。

いささか性格の悪い話だけど、有名作家のあまり面白くない小説に出会うと、いくばくかの喜びを覚えてしまう。口元からこぼれる笑みとともに形容しがたい感慨が込み上げてくる。よかったあ、という安堵感をともなって。まさしく意地の悪い話じゃないか。

ただこれは、ヒネくれた思考から生じる感情ではなくて、どちらかというとポジティブな思考から生じるもの。

以前、駆け出しの起業家時代に、人見知りのくせに無理をして人脈構築に勤しんでいたことがあった。食事会という名の交流会に出席し、先輩経営者との繋がりを得ようと懸命に話しかけ関係構築に励んだ。その甲斐あってかある一つのグループに一員として迎え入れられた。いわば自分も仲間だと認めてもらえたということ。

仲間同士ではお互いの関係も少しフランクになる。おかげで部外者として関わっているうちは知れなかった、彼らの新たな一面を目にすることができた。いわば体裁を取り繕っていない〝素〟の部分。仲間内にだけ晒す「素顔の経営者像」というものをついに拝むことに成功した。自分はそいつを求めて出不精に鞭を打って頑張ったのだった。

そうして私は知った。精神的に強くバイタリティに溢れた経営者たちも、実は、非常に脆くて弱っちい人間なのだということを。

外から見ればいかにもスーパーマンに映る人間であっても、実際のところはいい加減でぐうたらした面を持ち合わせているもの。自分の失敗に言い訳ばかりしていたり、愚痴や弱音、泣き言を喚くなどしてカッコ悪い姿を周りに晒している。たしかに頑張っているからこそ人より少し成果を挙げているわけだが、人間的には別に、我々一般人とそこまで大差はない。血の通ったごく普通の〝弱い人間〟だったのだ。

そうした事実に出会ったとき、やはり私は、上記のようにえもいわれぬ安堵感を得た。よかったあ、この人たちも同んなじなんだ、という。

他人の優れた面ばかり目にしていると、まるで相手が浮世離れした超人であるかのように感じてしまう。自分なんかでは到底手の届きはしない、漫画の世界の人物であるかのごとく誇大な人物像を描いてしまいがち。そうして自分で勝手に可能性を閉ざしてしまう、ということが往々にしてある。

だけども超人にも弱点があるということがわかると、途端に親近感が湧いてくる。あの人も我々と同じなんだ、大して変わらないんだ、という。あるいはナメているということにもなるのかもしれないけど、しかし妙に萎縮してしまって自信を喪失するよりはマシだと思う。どちらにしても並外れた人物には違いないのだし、多少のほころびくらいで品位を落とすことにはならないだろう。

いずれにせよ後を追う者にとって、こうした〝安堵感〟というのはけっこう重要だと私は思う。高い高い目標としてそびえていただくのはけっこうだが、あまりに高すぎて追いかける気持ちを削がれてしまっては元も子もない。夢がほんとうに単なる夢で終わってしまえば市場そのものがいつか廃れてしまう。伝統工芸の職人みたく〝成り手不足〟によって。

先駆者たちの背中を追う者にとって、侮る姿勢も時には必要だと私は思う。むしろそれくらい生意気な方が気概があって良いんじゃないかな。

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