2021/08/23
ぶつけようのない怒り
『嫉妬』について・・
小さい頃に幼馴染とよく遊んだ。
僕の家から、大きな広場を挟んだ向かい側に彼の家があり、
その広場でいつもキャッチボールやサッカーをしていた。
この丸い広場は、半分が道路、半分が田んぼに隣接していた。
そして道路側にコンクリートの壁が設けられていたので、
一人の時には、壁に当てていればキャッチボールやサッカーができた。
当時はまだ携帯電話もパソコンも無い。
壁にボールが当たる音、これが合図だった。
僕たちはとくに約束することもなく、
壁にボールが当てる音が聞こえたら広場に出て行く、
という感じでいつも集合していた。
彼とはずっと一緒にいた。
僕は幼稚園、彼は保育園と、
別の場所に通っていたにも関わらず、
いつも二人で遊んでいた。
家は近かったけど、別に親同士の仲がよかったわけでもないし、
向こうは近所のお寺さんの子供で、僕はごく普通の家庭の子供。
家の大きさも、お小遣いの額も全然違う。
だからきっと、お互いに気が合ったのだろう。
同じ小学校に通うようになってからも、
変わらずにずっと仲良しだった。
分岐点は「少年野球」だったのだと思う。
同級生の男の子の誰もが少年野球に入っていたし、
当然彼も入っていた。
だけど僕は入れなかった。
両親が共働きだったからだ。
少年野球は親の送り迎えが加入の必須条件になる。
夜勤も多く、シフト制で働いたいた母には、
送り迎えをすることは難しかったらしい。
まさか親に断られると思っていなかった僕は、
子供心に何かを感じたような気がする。
小学生にとって、少年野球に入っているかいないかは、
通っている幼稚園や保育園の話とは大違いだ。
彼は少年野球のメンバーと頻繁に遊ぶようになり、
話題が合わない僕は、壁を相手に一人でサッカーをする日々が続いた。
ただ彼は、優しい子だった。
僕のそんな状況を察してか、回数は少なくなったものの、
ちょいちょい広場に出てきてくれたのだ。
そう、彼の方は、それまでと同じように振る舞おうとしていたのだ。
だけど僕は違った。
友達もたくさん増え、いつも楽しそうにグローブを手に抱えていた彼の様子が、僕にはなんだか気に食わなかった。
そのうち僕は広場に出なくなった。
家に居ると、コンクリートに壁にボールをぶつける音が聞こえてきた。
けれど、ずっと無視していたのだ。
そしていつしか僕たちは疎遠になって行った。
今になったら分かる。
あのモヤモヤした気持ちは、彼に対するものではなかった。
あれはきっと、母親に対する怒りだったのだ。
自分だけが我慢を強いられた理不尽さに、怒っていたのだ。
そしてそのぶつけない怒りを、彼に嫉妬してぶつけていたのだろう。
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