ほんとうは怖くて怖くて仕方がありません
前作の完成から小説の執筆が止まっています。なんとなく気持ちが乗らない、というと言い訳っぽく聞こえてしまいますが、今の気持ちのまま書き始める気にはならない、といった心境にあります。
この気分屋の癖は生来のもので、なぜだか不意に熱が冷めてしまったり、意欲が減退してしまったりするところが自分にはあります。もはや慣れたもので、こんなものは挑戦のさなかに起こって然るべき停滞であって、へんに焦りや不安を感じる必要はないのだと呑気に構えています。自己嫌悪に陥っても、どうせ持ち直すところに帰結するのは同じだし、悠長に構えつつ、他のやるべきことに充てる方がよほど建設的である、と、国家試験に挑戦していたときにそのような身の振り方を学びました。妻がこの癖を後援(許容、あるいは諦め?)してくれているところも大きいです。
『表現』を探求することには多大な心労をともなうであろう、そんな予感がしています。そしてまた、この段を超えられるかどうかによって、自身が売れっ子作家になれるのかどうかが決するであろう、といったことをほとんど確信しています。つまりはまさしくいま自分は作家人生における重要な分岐点に差し掛かっているのだ、と。そのような思案に暮れ、途方もない重責感に苛まれ、自分のなかで勝手にプレッシャーを感じてしまっているのだと自己分析をしています。あら、やっぱり不安に襲われていたみたいです。ええ、正直に言います、めちゃくちゃ怖いんです。もしも出来なかったらこれまでに費やしたものがすべて無駄になる、この先惨めな思いにまみれて生きてゆく羽目になる、そんな強迫観念が心を席巻しています。
こんな先の見えない道に日々を費やしていていいのだろうか、という思いと、どのみち自分は最後までとことんやり切るに違いない、といった思いが錯綜し、アンビバレントな思考のなかで気持ちの整理をつけられないでいる。この先の険しい坂道へと足を踏み出すそのきっかけを探し求めている。──いや、望んでいる。⋯⋯いや、違う、待っているのだ。必ず訪れるその瞬間を今か今かと待ち望んでいる、現在はそんな精神状態にあります。
とはいえ、ただ待っているだけで転機は訪れないので、今できることをやろうと、この一週間は「編集」と「校正」について学んでいました。どのみちいつか取り組む必要があったのでいい機会だったと思っています。この二点については別の機会に詳しく書きたいと思っています。
晴耕雨読とでもいいましょうか、人事を尽くして天命を待つといった心持ちで、とにかく足を止めることなく、一歩でも前に進むつもりで日々を過ごしています。今は「アイデンティティ(自我同一性)」に関する本を読んでいます。これも述べ始めるとかなり長くなるのでまたの機会に。
人は弱い生き物であると個人的に思っています。けれども、強い心根をもった生き物でもあると思っています。
ずっと全力疾走することは私には無理で、たまに現実逃避や惰眠を貪ることもありますが、心が決まればとことん突き進んでいける人間であると信じています。だから大丈夫、きっと先は明るいさ。
気分を変えて妻と焼き肉にでも行こうと思います。牛角がいま生ビール半額だって、マジか、行くしかないじゃないか。
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