やっぱりSNSは向いてない

 

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数日前からツイッターを放置しています。

つぶやくSNSという触れ込みだったので365日愚直につぶやき続けてみたものの、いまいちその価値を見出すことができませんでした。

友達がいないからでしょうか。

見るにSNSは利用者同士の交流に重きを置いているように映ります。写真や動画を媒介に集まった人たちが交流を図れる仮想空間を提供している印象がある。

集合の中心には共感の声や感慨の声を上げる人たちがいて、辛辣な言葉でお茶を濁す人たちと激論を繰り広げている。その周りを時折相槌を打って静かに見守る人々が取り囲み、通りすがった人の何人かが足を止めてその様子を遠巻きに眺めている。

コロナ禍でバーチャル上のコミュニティ体験が慣用化されつつあるように、フォロワーの多いSNSはさながら仮想空間に形成された集落のような様相を呈しています。

集団に溶け込むより集団から自立することに精進してきた人間が、魅力的な集落を運営する管理人になれるはずもありません。歩んできた道のりに照らせば、やはりSNSには不向きであると感じざるを得ません。

 

 

ただ、そんな自分をフォローしてくれている人がいます。

一匹狼に生きてきた自分にとっては稀有な存在です。

仮想空間とはいえ、そんな相手に巡り会うと、ある女性アイドルグループのメンバーらが一様に話していたエピソードが思い出されます。

そのアイドルグループは定期的に握手会を開催しています。握手会は、ファンにとっては推しの相手と直に触れ合うことのできる幸せなシステムなのだそうですが、アイドルにとっては”結果”を突きつけられる残酷なシステムなのだそう。

チケットは個別に販売されているため、メンバー間の人気の格差が、列に並んだファンの数となって明確に表れる。チケットが完売するメンバーもいれば売れ残るメンバーも当然出てくる。それを集計された数字だけでなく、自分の前に並んだ列の長さとして視覚化されるのだから酷な話です。

そのように人気がもろに反映される握手会の場では、自身を推してくれているファンの動向が気になって仕方がないのだそう。

というのも、自分と握手をしてすぐに会場を後にするファンが大半を占める中、自分を終えてさらに別のメンバーの列へと並ぶファンの人がいるらしい。しかも彼らは、握手をしたアイドルへの気遣いからか、はたまた移り気に対するやましさからか、わざわざ着ていた服をチェンジして列に並ぶという荒技を繰り出すのだそう。健気というか純粋というか、ファンなりにアイドルの心情を慮っている様子が感じられるエピソードです。

そんな自身のファンの動向を横目で追いながら、浮かべている笑顔の下で落胆し、傷つき、密かに悲しみを味わっているのだそうです。

自分に興味を持ってくれた人というのは、それほど影響力を及ぼす存在になるのだと感じました。

 

 

ここまで書いてふと気がつきました。

なんだか自分がアイドルみたいな言い草だなと。フォロワーが自身のファンであるかのように、相手が自分を推してくれているかのような発言。”フォロー”の意味は人それぞれ異なるに決まっているのに。

他人からの印象を勘定に入れずにこんなことを書いてしまうのだから、集落の管理人に向いていないのかもしれませんね。ただこの話の選択には何の含みもありません。単にこの話が頭に浮かんでしまっただけなのです。

ちなみに上のようなエピソードを受けたからといって、フォローを外すことに気後れをしないで下さい。この日刊のメッセージ同様、不要だと感じた場合は即刻解除をしてもらって大丈夫です。

こんな話を書いてあなたを縛りつけるのはまったくの不本意です。要らぬ心配かもしれませんが、一応、付け加えておきます。

結局は何が言いたいかというと、フォロワーの存在も、読者の存在も、僕にとって活動の継続に影響を与えるほどの存在だということです。

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