2021/08/23

アクティブ or サイレントタイプ

 

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昨日は定休日。

そして今日からまた仕事始め。という一週間のサイクルのはずだったのですが、どうにも体の疲れが抜けません。

昼過ぎまでゆっくりと寝て体力を回復したつもりだったけれど、鳥のフンに汚された夫婦の自転車を雑巾で拭き、ついでにチェーンに油を指してやることを一つ終わらせ、部屋に戻ってきたらそこからどうにも体が動きません。重いというか、ダルい。みなぎるやる気を熱波に溶かされてしまったかのように心が鬱々としています。これが〝歳〟というやつなのか。

昨日も大して体を酷使したわけではありません。少し電車に揺られてスタバに行きわずかな買い物をしたくらい。

しかしおそらく、これまでの「ちょっとくらい」という運動が、もはや自分の体にとっては「酷使」にあたるようになったのかもしれません。自分が思っている以上に体は悲鳴をあげ、そして想定以上の休息を必要としているのでしょう。文字通りの休日を。

年齢を重ねるうちに分かってきました。人間には2通りのタイプがいるのだ、ということが。

いくら歳をとっても元気に動き続けられる「アクティブタイプ」と、静かで落ち着いた活動を好む「サイレントタイプ」。

これは、その人物がそれまでに過ごしてきた食生活や基礎体力作りなどの〝意識の差〟が原因なのだと、以前はそう思っていました。つまりは老後までの過ごし方がその人物の活動範囲を決めるのだ、と。健康的な生活を意識していた人は老後もそのように過ごせるのだという理屈。

けれども、どうやらそういう話でもないみたいだ。というのが最近の感想です。

これはそういった健康に対する意識の差だけでなく、そもそもの人間の〝気質の差〟による部分もあるのではないかと、近頃はそう思えてなりません。

明るい性格の人もいれば、それに比べるとおとなしい性格の人もいる。僕のように根暗な人間だっている。

その人物が生まれながらに備えた気質みたいなものにはやはり逆らうことはできないのではないか、と思うわけです。できないというよりも、自分に合わないことをやろうとするのは限りなく苦しいのではないか、と個人的にはそう思います。

サイレントタイプにはサイレントタイプなりの快適な過ごし方がある。心地良く感じられるライフスタイルがある。

昔は「そんなこと言ってたらつまんない人間になっちゃうぞ」なんて思ったりしていましたが、サイレントが無理してアクティブな過ごし方をする方が、よけいに自分を苦痛にさらすことになるような気がします。

 

 

身の丈に合ったことを、という言葉がありますが、それは自分に合った過ごし方をすることも指しているのかもしれません。

自分にとっての楽しいこと。自分の心を満たすことができるもの。

それが何か? を見つけられるようになると、日々の生活に「幸せ」が増えていくのではないか。などと思ったりします。

 

あるいはそのヒントになるかも。

サイレントタイプ or アクティブタイプ

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