2021/08/23

”イヤミス”に嫌悪感を感じなくなりました

 

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ずっと大嫌いだったアニメがありました。

正義感の強い男の子がある日一冊のノートを拾い、「名前を書いた相手を死に至らしめる」というそのノートの力を利用して次々と人間を葬っていく話。最初は法律上無罪になった悪人を裁くために使用されていたそれは、彼を追い詰める探偵との知恵比べのために使われるようになり、ついには自分の父親までをも葬ろうと目論むようになる。しかしその行動により墓穴を掘った主人公は、警察官の父に追い詰められて錯乱状態に陥り、最後はノートに自らの名前を書いて死を迎える・・

2005年前後に大ヒットしたこのアニメは、単行本からテレビアニメ、さらには実写版の映画にまでなりました。当時の彼女とこの映画を観た僕は、「どうだった?」と聞く彼女に対してあからさまに嫌悪感を表しました。

たとえフィクションでも人殺しをゲームのように楽しみたくはない、そんな思いがあったからです。

だからミステリー小説などもあまり好きではありませんでした。とくにこの映画以降、一つの潮流となった「イヤミス(終わった後で嫌な気分になるミステリー)」などの救いようのない話には拒絶感すら覚えました。

こんな話を世に出すことによる影響を作者はどう考えているのだろう・・?

ずっと批判的な立場でこの手の作品を観てきました。自分から進んで観ることなどまずありませんでした。

 

 

いつか何かの本で見かけた、「価値観とはレンズのようなもの」という言葉は本当なのだと思いました。

これまでと同じ景色を見ていても、着けているレンズが変われば、感じる感情も変わる。黒いレンズを通して見た景色はどこまでも黒く、透明なレンズを通して見た景色はありのままに見える。

過去にどうしようもなく不快に感じていた作品も、今ではなんの抵抗もなくその世界観に浸ることができます。きっとレンズが変わったからなのでしょう。透明なレンズを通して見てみると、その作者のありのままの気持ちを感じることができました。

そこにはただ、「見る人を楽しませたい」という純粋な思いがあっただけでした。

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