2021/08/23
カルマは幸福のきっかけ
テーマ:カルマ(業)
僕たちの本質は魂だ。
あらゆることが自由な魂の世界の住人である僕たちは、
あらゆることが制限された不自由な物質世界で今を生きている。
この物資世界でしかできないことを体験するために。
そしてまた、僕たちがこの世界にきた目的はもう一つある。
それが、『カルマの消化』だ。
これまで何度も言ったきたように、
この世界は絶対的に不平等だ。
すべての人間の「幸」と「不幸」のバランスは同じではない。
人それぞれに備わった才能や容姿、
知能や生まれた環境などの優劣の差は、
説明するまでもなく明らかに存在している。
そもそも、生まれてすぐ死んでしまう人生と他の人生が平等であるはずがない。
僕たち人間は絶対的に不平等だ。
ただ、それがもしも「カルマのせい」なのだとしたら・・?
不幸な体験がカルマの消化を意味しているのだとしたら・・?
それが真実かどうかはわからないけれど、
そうだとすれば少なくとも絶望的な不幸に一つの意味づけをすることができる。
苦しみや痛みによって過去(過去世)の行いに対する償いを果たしたのだ、と・・
過去の自分はこういうカルマみたいなものは大嫌いだった。
「何がカルマだよ? そんなの知ったこっちゃねえ!」
ルールとか何かを強制されるものがとにかく嫌だったし、
こういう「証明できないもの」にすがりつくのもなんかイヤだった。
なんだか変なものに依存しているみたいで、
現実からただ逃げているだけのような印象があったのだと思う。
たしかにカルマなんて証明のしようがない。
カタチがないだけでなく、
その因果関係も到底わかるはずがない。
いくら有名なスピリチュアリストから、
「それはあなたが過去世で家族に対して悪い行いをしたからです」
などと解説をされたところで、
それを証明する根拠は何一つ出てこない。
カルマはどこまでいっても、
”そういうものがあるらしい”というところ以上にはいかない。
・・ただ、カルマの存在を認めれば、
絶望的な不幸にも何かしらの価値を見出すことができる。
どうしようもなく苦しい人生にも意味を見出すことができる。
意味や価値を見出せない苦痛は、
ただひたすらに続くだけの苦痛であるだろう。
人生の不幸は不幸であり続けるだろう。
その人生からはきっと憎しみや恨みしか感じられない。
僕の経験上、
憎しみは次の憎しみを生み、
恨みはまた新たな恨みを生む。
無限のループの如く、
ただひたすらに同じ感情が湧いては消えるだけだ。
けれどカルマの存在を認めた瞬間、
その無限のループは終わりを迎える。
そして次の瞬間から、
また新たな人生が始まる。
それは、昨日までの人生とは全く違うものだ。
見える景色も感じる感情も、
これまでとは比べ物にならないほど美しいもの。
同じ人生も、それを見る目が変われば違ったものに変わるのだ。
たからカルマを否定するよりも肯定した方が、
僕たちは幸せに生きることができる。
カルマは、幸福の一つのきっかけなのだ。