2021/08/23
タレントの自殺報道が「今」を投影
自分の知り合いが自殺しても報道はされない。
載っても地元新聞の小さな枠くらいだろう。
当然だ。
有名人でもない限り、人の死が公に知らされることはない。
要するに、現実を知る機会がないだけなのだ。
最近、うちの実家にほど近い街の観光牧場において、
長年飼育されていた羊が盗難された。
養羊されていたわけでもない、半分ペットみたいな羊だ。
近所の人たちにとっての癒しの存在であったはず。
そんな商業利用もできないような羊が、
数日前に何者かによって盗まれていた。
そしてつい先日、犯人が逮捕され、
犯人の供述によりその羊がどこに行ったのかが判明した。
そうして空になった飼育小屋の囲いには、
飼育員さんの手書きでこのような貼り紙が掲載された。
「食べられてしまったのでもう帰ってきません」
人が自殺するのも、牛や鶏が盗難されるのも、毎年起こっている出来事だ。
だからとくに気に留める必要なんてないと言ってしまえば、
その死の知らせは「可哀想に・・」と感傷に浸るための役割しか果たさないだろう。
僕は、あらためて、今日一日を大切に生きようと思った。
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