2022/06/24

ニヒリズムの超克、じゃあ自分は何を成すか?

 

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万物の上には偶然という空が、無垢なる空が、運命の気まぐれの空が、放埒の空がかかっている。

「気まぐれ」──これは世界最古の貴族の称号だ。これを万物に取り戻してやった。わたしは万物を〝目的への隷属〟から救い出した。

この自由と快晴の空を、紺碧の鐘をかぶせるように、万物の上にかけた。そしてわたしは教えた、万物の上にあって万物をつらぬく、いかなる「永遠の意志」もないと。

放埒と愚行を、その意志のかわりに立てた。そして教えた。「どうしてもありえないこと──それは合理性だ」と。

わずかな知恵というものはありうる。だがわたしが万物に、至福のよろこびとともに見出した確実な事実はこうである。

むしろ万物がのぞむのは、偶然の脚で──踊ることだ。

 

<放埒(ほうらつ)⋯⋯勝手気ままにふるまうこと。きまりやしきたりに従わないこと>

※ツァラトゥストラかく語りきの一文より

 

この時分に読まなければ何一つ理解できなかったろう。むしろ、著書に登場する多くの人々のように、かの哲学者の話にひたすら嫌悪感を抱くばかりだったに違いない。己の信じた正義感に熱をあげていたあの頃だったらば⋯⋯。

奇しくも、もしくは必然にも、この地球上で影響力を振るう宗教が謳っている「人生の目的」は同一。すなわち、徳を積み重ねて天国へ逝くこと。生きている間に善行を行いなさい、とまるで判で押したようにその教示が流布されている。たしかに云われると心にしっくりくるものがある。善いことをすると気持ちが良いもの。

ニーチェはそれを目的への隷属(れいぞく)と形容した。そして己のが解放したその後の世界を指して「気まぐれ」と云った。それこそが、太古の昔からあったこの世界の本来の姿なのだと。

万物(おそらく宇宙を指すと思われる)が望んでいるのは、人々が理性的で合理性に満ちた道を規則正しく歩むことではなく、むしろ、各々の感性に身を任せたままこの大地を舞台に、思い思いに「踊ること」なのだという。

善悪判断の否定、目的意識の否定、そして道徳の否定⋯⋯それはそれはあまりに冒涜的な、あまりに破壊的な、いかにも横暴極まりない物言いだと思う。場合によっては自分の生きてきた人生そのものを否定されたように感じる人もいたことだろう。人々を光の方に導かんとする先導者としては最悪な振る舞いであるといえる。そんな言い方じゃあ誰も耳を貸さないよ、思わず忠告したくなってしまう。

だけど、きっと、伝えずにはいられなかったのだろう。その溢れんばかりの情熱が沸るままに。言い方だとか伝え方なんて些末なことはどうでいいとばかりに、口を突いて出るままに語ったのではないかと推察される。いや、書物だから語ったのではなく書き綴ったのか。一心不乱に皮用紙にペンを走らせるその姿が目に浮かぶようである。何人たりとも寄せつけぬ鬼神のような表情を浮かべて。

──この時代を生きる自分が、100年以上前に吹き込まれた魂の言葉の数々を受け取って、さあ、何ができるのか?

自分の場合は、芽生えたこの思いを創作活動へと昇華することしかできない。作家の端くれとして、作品という形にして遺すことが、きっと受け取った思いに対する報いとなろうはず。電子書籍だから現物としては遺らないのか。IT時代やなあ。

氏ほど、うまくやれる自信はとてもない。だけどせめて、授かったその勇気だけは存分に背中に見せつけて、後の世代へと繋げたいと思う次第。

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