2021/08/23
ネコ科の人間は共感よりも違和感を感じたい
久しぶりに何冊か本を買いました。もとから他の作家の本はあまり読みません。別に、興味ないし。
ただやはり本というのは為になるもので、読めば読むほど、自身の思考力が高まり、己の価値観がどんどん広がっていくのが分かります。なるほど、こういう考え方もあるのか、と、これまでと違ったものの見方をすることができるようになる。
ここ最近読んだもので感銘を受けたのは、Kemioさんの「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ」というエッセイ本でした。2020年11月に出版された本です。
内容からして、その本から何か新しい知識を学べるという類のものではありませんが、文体が非常に独特で、ページをめくれば終始、彼にしか書けない文章が綴られています。やたらと若者言葉や意味不明な造語が多用されていても、その言葉には、彼の感情と読む人に対する思いやりが込められている。それが読んでいるこちらにひしひしと伝わってくるので、著者の人となりを知るには素晴らしいエッセイ本に仕上がっていると思います。
タイトルから察せられるように、著者は間違いなく「陽」の人生を生きてきた人間です。僕のような根暗な人間とは真逆の人生を歩んできたのではないか、そしてまた今も歩んでいるのではないかと思います。向こうがエンターテイナーならば、こっちは裏方。表に出る側の人間とその舞台を作る側の人間。見ようとしている景色が、自分とはまったく違います。
そうだからこそ、僕は彼のような本に惹かれてしまいます。
自分には見たことのない景色を見せてくれそうなので。
自分が体験することのない体験を与えてくれそうなので。
別に会いたくもないし、知り合いたくもないけれど、そういう人物の思考に触れてみたいのです。自分の価値観の広がりを感じ、そして眼前に広がるこの世界の色彩が変化していくのを感じたい。そのような体験を得ることに、僕は至高の喜びを感じます。
だから求めているのは、共感よりも、受け入れ難いほどの『違和感』なんですよね。
僕のようなネコ科の人間は違和感を探求します。
けれども現代に生きる多くの人は、きっと共感を求めているんですね。多くの人と喜びや楽しさを共有したい。自分の味わった感動をみんなとシェアしたい。だからインスタで自分の生活を晒したり、ツイッターで顔も知らない相手と議論したりするのでしょう。
なんか、大変そうですね。
だって共感って、自分でコントロールできるものではないですから。
自分が共感を求めたところで、他人がそれを満たしてくれるとは限りません。自分がみんなを喜ばせようとしても、他人がその通りに喜んでくれるとは限らない。自分が相手に「いいね!」をしても、相手も自分に「いいね!」を返してくれるとは限らない。
共感という快楽を求めることで、同時に満たされない飢餓感を感じることにもなる。だから僕なんかは、大変だな、って思っちゃいます。別に好きでやっているならいいと思いますが。
共感もいいですけど、違和感も悪くないですよ。
違和感には自身の成長のタネが隠れています。それと向き合う勇気が自分にあるのならば、の話ですが。