ネコ科の人間は毒舌らしい

 

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やはりネコ科の人間と名乗る限りは・・という思いで、夏目漱石の「吾輩は猫である」を読みました。

ところがやっぱり最後まで読めず・・。前回よりは進んだけど、やはり今回も、断念。はっきり言って、長すぎます。あの本は。

かの文豪にケチをつける気は毛頭ないけど、歴史的名作も、現代人の感覚にはさすがに合わないと思います。”我輩は猫である。名前はまだない”という導入部分にはすこぶる興味をそそられる。名前はない、じゃなくて、名前は”まだ”ない。だったらこれからつくのかな? どんな名前だろう? なんて、後の展開に向けた伏線のようにも思えてくる。

しかしそこから大きな出来事もなく、猫視点による人間との共同生活が延々と綴られる。人間たちの卑しさをまざまざと映し出す、というほどでもなく、人間の愚かさをシニカルに表現する、というほど描いてもない。もともと文学好きでもないので、単なるネコ科の僕には、ちょっと難しい本でした。

ただ一箇所だけ、興味深い描写がありました。

猫が人間の有り様を見て、「まったく、人間てのは不憫だなぁ」とつぶやいたある場面です。

主人公の猫を飼っている一家、その主である男性教師は、慢性的な胃の痛みを抱えている。外での振る舞いはどうか知らないが、家ではとにかく神経質で、とんだ癇癪もち。主人公(猫)がわざわざ寄っていっても愛想はなく、偉そうで、傲慢で、すぐに暴力に訴える愚か者。

そんな男性教師の書斎を主人公(猫)が覗くと、彼は一人しげしげと日記を書いている。教師という職業、普段から生徒や親に対して散々指導をしている立場にあるくせに、まだ何をわざわざ文章に起こす必要などがあろうか。

「私(猫)たちには日記なんて必要ない。いつも言いたいことは口に出しているから。まったく、あんなことをしているから、胃の痛みを抱えるはめになるんだよ」

猫にとっては、言葉をわざわざ文章に起こすことなど、無駄だとしか思えないそうです。

 

 

学生の頃によく、「お前って毒舌だな」と言われていました。

大人になってしばらくすると、その悪評は消えました。きっと抱え込むようになったからだと思います。「これは言わない方がいいな」と、言葉を変換してから口に出すようになりました。

ところが最近、妻から「あなたは本当に口が悪い」とよく言われます。きっと元の自分に戻ってきたのだと思います。そう、本来の自分に。

僕自身は、自分のことを毒舌だとは思っていません。思ったことをそのまま口に出す素直な人間である、と自分を見ています。そして、そういうふうに生きている人のことを、世間では「毒舌だ」と評するのだと、僕はそのように見ています。

思い返せば、小さい頃から言いたいことを我慢したことがありません。きっとそのせいで友達ができなかったのかもしれませんね。

けれども、言いたいことを我慢してストレスが溜まった経験も、ありません。なのではっきりと自分の意見を主張しない人の気持ちは、あまり分かりません。別に言えばいいのに、と思います。

だって、言わないと相手も分からないから。察してくれ、なんて、相手に期待するのはムダですよ。そんなに皆んな、暇じゃない。一人の人間とそこまで真剣に向き合ってくれる人なんて、まあいません。自分の親でもないのに。

 

「我輩は猫である」を読んで知りました。ネコ科の人間は毒舌なんだそうです。

けれども言いたいことを抱え込んでストレスを感じることはないらしい。

どっちがいいかなんて知らないけれど、相手との深いコミュニケーションを好む僕にとっては、はっきりと言い合える相手の方が、随分と気持ちがいいです。

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