ネット上に文章を記す意味

 

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心地よい肩のコリを感じています。いわば、勲章のような感じでしょうか。電子書籍と辞典の往復にそれだけ力を尽くしているという証です。

こうして一日の暮れにブログを書くこともまたそこそこ辛いです。もはや脳みそはかなり疲弊していて、「今日はもう働きたくない」とグズっているのが伝わってきます。あくびに邪魔されてどうにもペンが進みません。というわけで、今日は手短に。

自分は、いつもどこかの誰かに助けられてきました。名前も知らない、顔も知らない、つまり面識のまったく無い相手に。

相手側の意図を知る術はありませんが、誰かを導きたいという明確な意志によって記されていたものもあれば、まずもって己の欲望を満たすことを念頭にして記されていたものもありました。わかりやすいところでいう金銭や名声の渇望。どれだけ当人が隠したところで、文章には、書いた者の思いが〝匂い〟となって付されるものだと個人的には思っています。とくに語尾に特徴的な残り香をともなって。

しかしどのような意図があったにせよ、求める者の知識の穴を埋めることができたのなら、その文章は相手の困難を乗り越えるのに一役買ったことになります。つまりは相手を助けたということになる。

それが単に知識を提供するだけの場合もあれば、お先真っ暗で絶望の淵に立っていた相手に一筋の光明を与えるほどの影響を及ぼす場合もある。人の役に立つのは知識や経験だけでなく、場面によっては考え方や生き方というのもそうなりえるので。

その効果は相手が何を求めているのか? に委ねられるけど、もしも相手が考え方や生き方の〝参考例〟を欲していた場合には、自分はその一つを提供できるようでありたいと思っています。そのために毎日こうして自身の活動の軌跡を記しています。後を追ってきた人の参考にできるだけなるように、という思いで。

そのことに意味があるのかどうかはわかりませんが、きっとどこかの誰かの歩む道を補助することになるだろうと、自分は信じています。そう、自分にとってどこかの誰かの文章がそうであったように。

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