2021/08/23
ポジティブはネガティブから始まる
あくまで自分の経験則でしかないけれど、
不思議なもので、自分にとってポジティブな決断をすると、
まずはネガティブな出来事が起こる。
「よし、今日から人生を変えよう」
そう決意して昨日と違う行動・言動を発し始めた途端、
不快な出来事が次から次へと自分の前にやってくる。
まるで運命が自分に試練を与えているように・・
それは、ある種の”交換条件”なのだろうか?
これまでとは違う運命を歩むにあたって、
それと引き換えに差し出さなければいけない「犠牲」なのかも。
”おやおや、そんな簡単に運命を変えられると思ってるのか?”
まるで運命が、そう囁いているようだ。
ただ、この不思議な現象について一つ思い当たることはある。
自分以外の存在を「環境」と仮定する。
自分を取り巻く家庭や近所や職場など、
そこに存在する全ての人間を環境とする。
これまでの自分は、とくに意識することもなく、
その与えられた環境に適応して生きていた。
家庭ならば、
家族の起床時間に合わせて自分も起床したり、
家族の味の好みや趣向に自分も合わせたり。
近所ならば、
近所のルールやその街の慣習に生活を合わせたり、
影響力のある人物や要注意人物の動向に自分の行動を合わせたり。
職場ならば、
職場の規律や業務のやり方に合わせて自分も仕事をしたり、
上司や同僚などの仲間の考え方に自分の考え方を合わせたり。
与えられた環境の中で問題なく生活ができるように、
自分自身を適応させてこれまでの日々を過ごしていた。
いわば、これまでは環境と自分は「同化」していたわけだ。
環境と自分が同化している時は、
何か例外的な出来事が起きない限りは何もない。
しかし、
「今日から人生を変えよう」
そう決意して自分の言動や行動を変えると、
その環境の中に突然”不協和音”が生ずる。
昨日まで調律がよく整っていた楽隊の一部から、
突如として聞き慣れない音が周囲に鳴り響くのだ。
すると昨日まで環境の一部と化していた自分は、
今日から環境側にとっての”違和感”と化してしまう。
それは環境側にとって、まったく薄気味の悪い存在なのだ。
だから環境側は自分に対してこう言う。
「はぁ? 何言ってんの? どうしたの?」
突如として変わってしまった自分の存在に、環境側は戸惑いを隠せなくなる。
だから少しトゲのある言葉を投げつけたり、
あからさまに見下すような微笑みをわざと向けたりしてくる。
そうやって違和感と化した自分に対して攻撃を仕掛けてくる。
その攻撃は、環境のあらゆる所から飛んでくるため、
自分はその環境の中でハチの巣状態にされてしまう。
その状態が、
”不快な出来事が次から次へとやってくる”
というネガティブの応酬を招いているのだろう。
だから自分にとってポジティブな決断をすると、
まずはネガティブな出来事が起こるのではないだろうか。
運命は自分にきっかけを与えてくれるけど、タダではくれないらしい。
多大な犠牲と引き換えに新たな運命を用意する、それが、自分の人生を変えるための交換条件なのだろうか。
ただそれならば、人生を変えることは、そんなに難しいことではない。
だって犠牲を受け入れる勇気があればそれでいいってことだから・・
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