2021/08/23
マイペースがハイペース
またもや爆睡。今日は14時間です。
例えば、起きなければいけないというしがらみを放棄したら人間はどうなるのか?
きっと多くの人は「現実的にそんなことができるわけがない」と非難するのでしょうが、僕の場合は「当然寝て過ごす」となります。それによってこれまでも数々の〝機会〟を喪失してきました。ある意味で睡眠とは生きていくうえでもっとも大事なものなのです。僕にとっては。
「スッキリした?」と背中で聞いてきた妻は、たぶん、ちょっと怒っていました。昨日に引き続き今日も寝過ぎだろうが。もっともな指摘に反論の余地もありません。
洗い物も洗濯もすべて放置。さすればテレワークの妻がやる以外なく、主夫としてのノルマをこなしていない眠り作家への怒りはもっともなこと。きっと数日後にこのしっぺ返しがくるでしょう。夫婦は片方だけが得をする、というわけにはいかないものなので。
相変わらず心臓には少し違和感があります。休ませてほしいという悲鳴はちゃんと聞こえているから安心して。
まったく貧弱になってしまった自分を情けなく思いますが、少し安心したりもしています。
二十代の頃は「君はストイックだから」と言われていました。その後に続くのは「そんなに頑張る人は普通いないんだよ」という口に出さない皮肉の言葉。それは〝凄い〟というニュアンスではなく、〝変な人〟という意味合いで使われていたことを僕は知っていました。
心なしか、僕たちの世代(現在の30代ミドル)には「努力することがカッコ悪い」という風潮があったような気がします。努力とか気合いとか、そういう根性論なんて古いっしょ。もっと頭を使って効率的に生きましょうよ、という具合に。ゆえに愚直に頑張っている人間はどこか周りから蔑視される傾向がありました。まさにその視線を嫌というほど浴びてきたわけです。
だから〝弱い自分〟というものに情けなさもあり、どこか安心感もあります。やっと自分も「普通」になれたような気がするので。
一生全力疾走、なんてできません。個人的な意見ですが。
だから適度に休んで、回復したらば全力で走る。サッカーのトレーニングにある「ストップ・アンド・ゴー」のような要領で。
どれだけ自分の好きなこと、やりたいことをやっていたとしても、努力をしなければいけない場面は必ずあって、そしてそこでは気合いとか粘り強さがものをいう。根性論みたいなものはやはり必要だと僕は思っています。
けれども若い頃みたいにずっと全力疾走はできない。途中休憩は必須。それが今の僕の全力疾走です。
ラッパーの言葉を借りれば『マイペースがハイペース』。