ユニフォームが残りました

 

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保持していた価値観を捨て、旧来の家具を捨て、タンスに溜まっていた服を捨てていったところ、一着の服が残りました。

ポロシャツのような襟が着いたそれは、目立ったスレやほつれもなく、いまだに学生時代のあの頃のままライトグリーンの光沢を輝かせています。シャツ全体には白いまだら模様がプリントされ、全体を通して民族的なデザインが施されており、見る人にマヤ文明の神秘的なイメージを想起させます。

サッカーの練習着を探していた当時の僕は、その鮮やかな緑と神秘的なデザインに一目で惹かれ、サッカー少年だったら誰も選ばないであろうマイナーなそのメキシコ国のサッカーユニフォームを購入しました。

首元についたポロシャツような襟は、それがそのまま年代物であることを表しています。

というのも現在のサッカーのユニフォームは、体にフィットするデザインが採用されており、限りなく肌着に近い形になっています。そのため元々あった首元の襟は数年前に取り払われ、今では時代遅れの象徴となってしまいました。

元来、試合中は襟元のボタンを留め、シャツをパンツに入れ、ソックスをしっかりと膝まで伸ばし、きっちりとした格好でプレイすることがサッカー少年には強制されていました。試合中にシャツを出していると、審判から「おい君、シャツを入れなさい」と厳しく注意されたほどです。肌着のようにラフな格好でプレイしている今とは大違いですね。

そのため当時の僕たちは、怒られるギリギリのところで正装を外し、どうにか個性を出したいと奮闘していました。まるで生徒指導の教師に歯向かっているような感じです。

男の子ならば誰がもカッコよくありと思うのは当然で、それはオシャレをしたいということと、大人が決めたルールに反抗したいという意思表示だったように思います。今思えば「何をやってるんだか」という感じですが、当時の僕たちは綱渡りのロープを渡るような感覚でそれをやっていたわけです。今では良い思い出ですね。

学生時代の記憶は苦悩と葛藤に満ちた暗い思い出ばかりですが、そんな微笑ましい瞬間もあったんだと、このユニフォームを見て思い出しました。

 

 

ここ数ヶ月の間に何度かメルカリに出品しようと考えたのですが、なぜだかその行動意欲が湧いてきませんでした。出品すれば間違いなく1万円前後の高値がつく値打ち物なのに、です。

別にこの思い出にそこまでの価値は感じていないのに、なんとなく体が手放すのを躊躇しているようでした。そのうちにこの不思議な感情と向き合うのも面倒くさくなってきて、結局はタンスの引き出しに再収納する運びとなったわけです。

きっと、捨てたくないんでしょうね。

自分ではまだその気持ちの実体を捉えることができないのですが、心の底になんとなくあるのは分かります。

「まだコイツを離さないでほしい」

手放してしまうのは簡単。ただ、じっくりとこの気持ちと向き合っていくのも悪くないなと思いました。そのためにコイツを置いておくのも悪くないな、と。

”片づけの魔法”で知られる近藤麻理恵さんの著書に、
「片づけをすることは自分の人生と向き合うこと」
みたいなことが書いてあったけれど、きっとこのユニフォームは僕にとってそういう存在なのだろうと思います。

 

捨てることのメリットはよく知られていますが、『保有し続けること』というのもなかなか興味深いですね。

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