リスクはスパイスが如く

 

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人生とはギャンブル。一か八かの人生。毎日をサイコロの出目で生きるような騒がしい生活を好む人がいます。

それを否定する気はないけれど、自分にはちょっと無理だな、と思います。あらゆる可能性を想定してしまう自分にとっては、そんな生活、心がいくつあっても足りません。とても精神がもたないと思う。

誰もが安定した生活を望むだろうと思います。たとえ虚勢を張り、荒々しい無頼漢のような振る舞いをしていようとも、心の底では「楽をしたい」という思いを抱いているのが普通。

人には生まれつき生存本能というものが備わっていて、あらかじめ予想された危険は回避しよう、できるだけリスクは避けよう、といった思考が自ずと働くようになっているそうです。だから大多数の人がそうであるように、安定思考の元に日々の生活を送るのが一般的です。

それなのに、なぜだろう? 自分の場合は、なぜだか安定を極端に嫌ってしまう傾向があります。

物事がうまくいきだし、安定に向かい始めると、途端にそれに対する興味を失ってしまいます。努力を重ねてようやく成功間近のところまできたというのに、まるで抜け殻になったように突然、それまでに抱えていた情熱がふっと消えてしまう。成功の喜びを味わいたいがためにチャレンジを始めたにも関わらず⋯⋯。

安定には、恐怖を感じます。

一つに、安定は幻である。という思いがあります。

安定などという状態は単なる思い込みであって、実際は、一時的な〝保持〟の状態にあるだけだ、と。左右に振れる振り子が頂点でゆるやかに勢いを失っていく。その一時的な静止状態を安定と錯誤しているに過ぎない。そこにわずかな力が加わっただけでも崩れてしまう、つまりは、まったくもって不安定な状態にある。そんな思いがどうにも拭えません。

そしてまた一つに、安定は怠惰ではないか。という気がしてしまいます。

安定した状態にあるということは、新たなチャレンジを行っておらず、現状維持に甘んじているということかもしれない。惰性に任せて日々を過ごしているということかもしれない。

他人がそうであることには何も思わないけれど、自分は違う。なんだか日々がもったいない。与えられた寿命を有用に使っていないような気がしてしまう。ただなんとなく生きてやしないだろうか、そんな選択を続けていることに、恐怖を抱いてしまう。やばいぞ。このままではいけないぞ。早く動き出さないとあっという間に人生が終わってしまうぞ。そんな恐怖心がどうにも頭をもたげる。

別に、自分はギャンブラーではありません。また向こう見ずなタイプとも違います。むしろ人よりもかなり慎重派だし、決断するまでに費やす時間は長いと思う。

それなのに安定は嫌う。リスクがある道を求めて歩き出してしまう。まったくよく分からない人間だと、自分でも思います。

やはり、リスクには一定の快楽があるのかもしれません。ジェットコースターやバンジージャンプのように、怖いけれども爽快感を感じるような、そんな快感の種が含まれているのかも。単なる成功や損得だけではない、リスクをとるという選択をするだけでも得られるリターンがそこには存在している。

その快楽を知ってしまっている以上、きっとこれからも自分は、リスクの無い日々を送ることはできないのだろうと思います。まさにスパイスが如く、人生に刺激を求めてしまうのはもはや、やめられない。

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