不安はホクロ。そう思って付き合おうかな

 

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昨日、UFJ銀行から突然、ハガキで通達が届きました。

「クレジットカードの取り扱いを終了します」

それは自分だけに充てられた内容ではなかったので、どうやら同サービスそのものが終了する様子。クレジット会社の変更案内でもない一方的な終了告知。もしかして銀行側にとって何かしら不都合が生じる懸念があるのでしょうか。例えば、回収リスクの問題とか。

妻の会社の方の業績もあまり芳しくない模様。昨年比は落ちる一方であるらしい。そういえば、去年契約を終了した派遣先の会社でも、数十年ぶりに業績赤字を出した、なんて社内報が回っていた。業界最大手の傘下企業においては珍しいことなのだそう。

メルカリに出品している諸々の商品たちも全然売れない。これでもか! というラインにまで価格を下げても、いいね、すらつかない。はて、こんなにも売れない場所であっただろうか? 去年よりもあきらかに落札相場が落ちている気がする。アウターを2000円代で売っても、手数料と宅急便代を差し引いたら、もはや雀の涙ほどのリターンしかないではないか。

具体的な指標を確認したわけではないけれど、我々の生活に少しずつ傾斜が生じているのは、おそらく間違いないと思う。このご時世にあって伸びているところはもちろんあると思うけど、傾いている数の方がきっと多いであろう。つまりは全体的には傾斜が生じているということ。少なくとも我々庶民の生活のどこかしらに影響が出ているのは間違いない。

考えても仕方がない。ということを考えてしまうのが、自分。

己の力ではどうしようもできないこと、コントロールすることのできないことを、どうにかしようと考えてしまうのが、自分。それが自分という人間であり、また生まれもった気質であることを、僕は十分に理解しています。

だからこそこのての思考が消え去ることはないわけで、常に何らかのきっかけでその思考が活動を始めてしまうのを、止めることはできません。また生じた思考を無理やり消し去ることもできません。気の済むまで不安の海に己の心を浸らせることしかできない。なにせその思考には一定の快楽を伴うのだから。

これはいわば、ホクロみたいなもの。消そうと思ってもどうせ消えない。

もしもレーザーなんかで無理やり焼き消したならば、次は、倍の大きさや数となって返ってくる。そいつを消してはまた生じ、また消してはまたさらに生じる、といったイタチごっこの無限ループにはまるだけ。生きている限り延々と「消す努力」に時間と労力を費やす人生を送ることとなる。消えたことによる束の間の安堵の気持ちを感じるために、ひたすら悩み、苦しみ続けることになる。

だから別に、消さなくていい。生じるままに放っておけばいい。消しても消さなくても、どのみち苦しむことになるのだから。

もしも顔面がホクロまみれになったらどうしよう? なんて心配になるけれど、ホクロだらけの顔になったなら、逆にホクロありきの顔になって、むしろそれはそれで個性となりえるような気もする。というか、もはや「自分の一部」として受け入れざるを得なくなり、むしろ覚悟が決まっていいかもしれない。

そういえば自分の顔にあるホクロも随分と増えてきたけれど、一番気にしていたのは最初の一個の時だったかもしれない。それ以降は流れに身を任せるままで、勝手にしてくれ、といった感じであまり気に留めなくなってしまった。かといってコイツを歓迎しているわけでもなく、ましてや受け入れたわけでもない。できることなら全てキレイサッパリ消えて失くなってほしいと今でも思っている。だけどもそれは叶わないのだから、仕方がない。コイツありきの顔で人生やっていくしかないだろう。

ホクロは消えない。だからこそのホクロありきの人生。

それはネガティブだと言われるかもしれないけれど、いつまでもホクロに時間と労力を費やす人生よりも、幾分かはポジティブな生き方ではないかと、僕は思う。

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