2021/08/23

中庸とは「悩みからの解放」

 

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テーマ:陰と陽

 

過去に出版した身体のニオイの書籍の中で、
僕は『悩みからの解放』という言葉を使った。

ニオイに悩んでいる状態は、
ニオイの悩みに囚われている状態。

その囚われた自分を解放させた時、
同時にニオイの悩みからも解放される、と。

生きていくうえで悩みは尽きないけれど、
僕たちが悩んでいる時というのは
その悩みに囚われている状態だといえる。

多くの場合、人が悩みをどうにかしようとする時は、
問題を「解消」しようとしたり、
あるいは原因を「改善」させようとする。

もちろんそれも悩みの解決につながると思う。

ただ、別に問題や原因を解決しなくとも、
その悩みを根本から解決してしまう方法がある。

それは『どうでもいい』と思うことだ。

悩んでいたことを「どうでもいいや」と思えたならば、
もはやそのことについて苦しむこともなくなってしまう。

つまり、問題や原因をどうにかするのではなく、
そもそもの自分の考え方自体を変えてしまうわけだ。

考え方が変われば物事に対する見方も変わる。

それはまさに、これまで話してきた「中庸」と同じだといえる。

 

 

考え方や価値観というのは、
ある意味で「こだわり」だと思う。

その物事に対して自分なりのこだわりがあるからこそ、
「こうでなければいけない」だとか、
「こうであるべきだ」という発想になる。

その結果、自分以外の考え方を認められなかったり、否定したり、
あるいは考え方の合わない相手に嫌悪感を感じたりする。

けれども人の考え方は十人十色。

人が十人いれば十通りの考え方がそこにはある。

そんなことは頭でわかってはいるけれども、
やっぱり自分とは違う考えを認めることができない。

それはきっと、自分のもつ”こだわり”を手放すことができないからだ。

それゆえに自分と異なる考えを頑なに拒もうとする。

ただ、相手の考え方を理解しようとしなくても、
「違う考え方もある」と認めてあげることで、
異なる考えをもつ者同士は”共存する”ことができる。

「Aという考えもあれば、Bという考えもあって、
AとBの考えは完全に真逆だけれども、
お互いがお互いの考えを認め合っているんだよ」

もしもそんな状態になれたのならば、
対立することなく、共存することができるだろう。

そうなればきっと、
自分のもっていたこだわりも、
少しずつ手放していくことができるはずだ。

中庸に至れば悩みは昇華される。

それは、こだわりを手放すことになるからだ。

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