2021/08/23

二つのカルマ

 

この記事を書いている人 - WRITER -

テーマ:カルマ(業)

 

一般的にカルマ(業)といえば、
「前世の行い」を想定していることが多い。

要するに、

「私はどうしてこんなに不幸なのでしょうか?」

と自分の人生に悩んでいる人に対して、

「それは前世におけるカルマが原因なのですよ」

という理解を与える時に使うことが多いということ。

理屈では解決できない物事に対して、
”宇宙の法則”によってその理解を得ようというわけだ。

人は「分からない」ということに多大なストレスを感じる。

だけど「理由」がわかれば、
嫌なことでも向き合う心持ちが作れる。

”これは試練だから仕方がない”
”これは私に与えられた罰なのだから甘んじて受け入れよう”

このような気持ちになれたらば、
次々に訪れる苦しい出来事にも耐えられるのだ。

まさにカルマとは、
不幸に価値を見出す”救い”の一種だといえる。

ただ、前世を想定したものは、
カルマの一つの側面にすぎない。

実は前世のカルマ以外にもう一つのカルマが存在する。

それが、『現世のカルマ』だ。

 

 

僕たちが今生きている人生においても、
自分の行いは後の人生に影響を与える。

若い頃にした悪い行いは、
「現世のカルマ」として大人になってから消化を迫られる。

例えば、若い頃に人を騙してお金を得た場合、
大人になってから人に騙されてお金を奪われる目に遭う。

また恋愛において好き勝手に相手を傷つけてきた人は、
結婚してから相手に翻弄されて苦労するハメになる。

大人をバカにして育った子供は、
大人になってから子供にバカにされることになる。

そういう意味では、
自分の「行い」が自分が「歩む人生」を決めているともいえる。

僕はカルマを有難いものと捉えているけれど、
この現世のカルマほど有難いものはないと考えている。

なぜなら、現世のカルマこそが僕たちに『学び』を与えてくれるからだ。

僕は中学の時に自分の口習と体習に悩むようになり、
不登校から自殺未遂をするにまで至った。

それは15歳の僕にとってはとてつもなく苦しい出来事だったけど、
不登校になった時に僕の頭にはある思いが浮かんだ。

”ごめんなさい”

それは、これまでに傷つけてきた多くの友達に対する思いだった。

自分が人に傷つけられたことで、
初めて人を傷つけることの痛みを知ったのだ。

それがわかった時、
友達に対して本当に申し訳ない気持ちになった。

そしてまた、
自分は今後もう二度と同じことはしないと決めた。

あの「痛み」があったからこそ、
人に対する「思いやり」の気持ちをもつことができたのだ。

 

 

あの頃の体験が、自分の現世のカルマだったかどうかはわからない。

むしろそんなに早くカルマは生じないのかもしれない。

だけど、あれがカルマだったかどうかなんて話はどうでもいい。

目の前に苦しい出来事が起こった時、
過去の記憶がフラッシュバックすることで、
自分の行いの「過ち」に気づくことができる。

それはきっと「鉄は熱いうちに打て」みたいなことだと思う。

仕事に失敗した時にかけられる上司の言葉がもっとも身にしみる。

苦しみを実感しているその時こそが、
自分の過去の過ちを悔い改めることができるのだ。

つまりはそれが現世の間に起きた方が、
よりその学びを実感することができる。

 

もしも過去のカルマが”救い”だとしたら、
現世のカルマは”学び”を与えてくれるものだと僕は思う。

この記事を書いている人 - WRITER -
 

Copyright© 売れっ子Kindle作家 大矢慎吾 , 2020 All Rights Reserved.