2021/09/06

人が糾弾される様子は、見ているだけでも体に悪い

 

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小学5年生の時にちょっとした炎上を経験したことがあります。

その日は担任の先生が不在でした。学級委員だったからなのか、あるいは単にその日の日直だったからなのか、定かな理由は忘れてしまいましたが、前日に、担任の女性教師からこんなことを言われました。

「慎吾くん。頼むよ」

肩にポンと手を置かれ、こちらを真っ直ぐに見つめたその女性教師の眼差しは、「信頼」という言葉をまだ知らなかった11歳の少年の心にも責任感というものを芽生えさせました。自分がなんとかしなければいけない。自分が明日のこのクラスの秩序を守らなければいけない。物心つくと自発的に母親を守ろうとする男児の精神に近いでしょうか。あるいは女性教師は、知ってその習性を利用したのかもしれませんね。

担任不在時の同級生たちの暴れっぷりはなかなかのものでした。朝礼など誰も聞く耳をもたず、そこら中で始まる私語によって進行の言葉はことごとくかき消され、話し合いや◯◯会などの公的な行事はまったくその機能を果たしませんでした。

教師が登壇する授業中は大人しいものだけど、そんなものは所詮キツネの皮をかぶった狼で、給食の時間になると、普段抑えていたやんちゃ坊主たちの欲望が次々と顔を出し始めました。ある者は他の者の存在を無視して器に好き放題な分量の給食を盛り、またある者は並んだ列に横入りしてカレーを二回、三回とおかわりする。そして嫌いなものは盛られた器から返却。終いには「お前、コレいらないだろ?」と半ば脅迫めいた交渉の末、気弱なクラスメイトから強引に牛乳を奪い取る始末。まさに無法地帯。教室には子供たちの上下関係がくっきりと映し出されていました。

コトが起こったのは5時間目。

運動場でなんらかのレクリエーションを行うという時間割が組まれていて、事前にそう決まっていたのか、その時間は「氷鬼」をやることになりました。これは鬼ごっこを発展させたもので、鬼にタッチされると子は氷になって固まり、固まった子は他の子にタッチされると解放され、全員が凍ってしまえば鬼が交代する、といったルールの遊びです。一応全国的な遊びらしいですね(wiki参照)。

この授業は教師が不在だったため、案の定、やんちゃ坊主たちはやりたい放題に暴れ回りました。鬼にタッチされたら氷、なんてルールは無視で、固まったフリをしただけで勝手に解除。いくら鬼役が走り回っても一向にゲームは終わらない。このてのレクリエーションはルールに沿って遊ばないことには何も面白くないため、11歳の少年は風紀委員となって孤軍奮闘しました。しかし、その交通整理もむなしく、クラスメイトたち(とくに女子)の笑顔は徐々に消えていくばかりでした。

きっと担任は、この5時間目のことについて、自分に「頼むよ」と言ったに違いない。そう思っていた少年は、目の前で起こっている惨状に大きな責任を感じていました。自分のせいだ。自分がどうにかしなければいけない。このままでは明日きた担任に「どうだった?」と聞かれても報告する言葉がないじゃないか。

そんな責任の思いにかられた少年は、ふと、自分の声が若干かすれていることに気がつきます。朝から大きな声を出しっぱなしだったのですから当然です。するとその瞬間、自分の中で悪魔が囁きました。「やっちゃえ」。こいつを使ってみんなから目一杯の同情を引き出してやれ、と。

そして少年は階段にうずくまり、喉を押さえて〝ただごとじゃない〟という芝居を始めました。さすれば当然、女子たちが大勢駆け寄ってきます。

一応、朝から孤軍奮闘していた事実もあって、女子たちはすぐに信用し、大勢の味方を得た少年は、多勢に無勢だった暴動の鎮圧に成功しました。ついでに「約束をきっちり守る生徒」という称号まで得て・・。

翌日、一部始終を女子からの報告によって知った担任の女性教師は、やりたい放題に暴れていたやんちゃ坊主たちを激しく叱責しました。

「あんたらのせいでこの子は声も出なくなったんだよ! それをどう思ってんのよ!?」

彼らの表情は窺い知ることができませんでしたが、無言でうなだれていた背中から察するに、おそらく、激しい懺悔の念に苛まれていたに違いありません。自分たちのせいで一人の少年から声を奪ってしまった。自分たちはなんて悪いことをしてしまったんだ、と。

そして少年の思惑通り、彼らに対する叱責は担任教師だけにとどまらず、ボスを中心とした各種女子グループからの激しい糾弾にまで波及していき、彼らはその日から数日間、苛烈な反省要求や人格否定の言葉を浴び続けました。まさに今でいうところの〝炎上〟が、田舎の小学校のいち教室にて巻き起こったわけです。

その時に感じた罪悪感は今でも鮮明に覚えています。どうにも後味が悪くて、すごぶる気分が悪い。

嘘をついたことに対する罪悪感というよりも、クラスメイトがクラスメイトから激しく糾弾されるその火種を自分が生み出してしまったことに対する罪悪感。

嘘をついたことは別にして、たしかに彼らよりも自分の方に多少「正義」があるにしたって、大勢で寄ってたかって誰かを吊し上げる様子は、見ていてあまり気分がいいものではありません。いや、むしろ恐怖心さえ覚えました。自分がもし、あちら側に立たされてしまったら一体、どうなってしまうのだろうか、と。果たしてその後、無事に生きていけるのだろうか、と。そんなことを想像したらどうにも恐くてたまりませんでした。

以来、火種を投下したり、あるいは火種を燃え上がらせるようなことはしないようにしようと、そう意識しながら生活をしています。そしてまた燃え上がっている現場には近づかないようにしよう、とも。

 

 

どのみち争いは起こる。

争いがなぜ起こるのかを考えることに意味はなく、争いは、ただ、起こる。

だったらどうするのか? といえば、ただひたすらに自分のゆく道を歩み続けていくだけ。

人それぞれが自分のやりたいと思うことをやればいい。

〝どうするのか?〟

問うべき相手は自分自身であり、他人の行動に干渉している暇など、ない。

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