2021/05/28

人と議論しない生き方

 

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最近、「論破する」ことが秀でた能力の一つだと認知されている様子です。別に今に始まったことじゃないか。昔から議論の強さは先導者たちに必要な要素であったのかもしれません。マルコムXしかり。

あなたは人と議論することが好きですか?

僕は、大嫌いです。なぜなら弱いからです。

一つの物事をじっくりと考えたい人間にとって、ディベートというのは往々にして相性が悪いものです。とくに、小さい頃から他人の目を気にして生きてきた人間にとっては。

自分の場合は、まずたくさんの情報を収集し、検証を重ねたうえで、最終的な結論に導く。という思考パターンなので、反射神経の面で大きく劣ります。どうしても時間がかかってしまうんですよね。

だから人と言い合いになったら、まず負けます。

すぐに言葉に詰まってしまい、防戦一方の状態になってしまう。はたから見たら気の毒なほどの負けっぷりを晒すハメになります。小さい頃はそれをごまかすために暴力でなんとか体裁を保とうとしていました。今思い出してもまったく恥ずかしい振る舞いだったと思います。

そのような苦い経験を経て、いつからか、他人と議論することを避けるようになりました。

議論に発展するのを察知したらすぐに回避。自分の考えをひけらかすことは決してせず、相手がふっかけてきても右から左へと受け流す。「まあなんでもいいんじゃない」とか適当なことを言って。とにかく”舞台に上がらない”ようにしています。

その振る舞いのせいで人から「他人に対して壁を作る人間だ」と思われたこともありますが、それもあながち間違ってはいないのかもしれません。たしかに自分の腹の内を見せていないという意味では、相手に心を開いていないと感じられても仕方ない部分はあると思うので。

 

 

人と議論をして、気分が良くなったことなど一度もありません。

相手を負かした時も、やたらと後味の悪い気持ちを引きずるだけでした。そしてもちろん負かされた時は、しばらく惨めな思いを引きずるハメになりました。

人と議論する必要などありません。少なくとも、自分にとっては。

物事の考え方は幾多あれど、詰まるところ重要なのは「自分がそうしたいかどうか?」だと思います。

たとえそれが明らかに間違った道であろうが、世間的に見れば効率の悪い選択肢であったろうが、自分がそうしたいと思ったのならば、その最初の思いを貫いた方が絶対にいい。理屈がどうとか、人からどう見られるかとか、そんなものを判断材料に入れる必要などない。

正しい・間違っている、ということよりも、その道をそのまま進むことに意味がある。と僕は思っています。

なぜならその先に自分の得たい経験があるからです。理由なんて分からないけれど、自分がそう思ったということは、その道の先に何かがあるということ。その意思に何かしらの意味合いが含まれているということ。もしも自分にとってどうでもいいことだったのなら、「そうしたい」という思いは湧かないはずですので。

理由とか、合理性とか、そんなものは、人と議論を交わすために必要なだけです。

 

自分が良いと思ったのならそれでいい。

どうしてその道を選択したのかなんて、分からなくたって別にいい。

他人に説明することができず、そのせいで議論に負けてしまっても、自分の人生が生きられたなら、それでいいじゃないか。

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