仮)私と私、と私 13
「みなさん、お疲れ様でした。みなさんのご協力のおかげでこの河原もかなり生き返ったんじゃないかと思います。全部で二百五十ほどのゴミ袋とその他諸々を回収できました。怪我人も一人もでることなく、今日は大成功だったと思います」
斉藤さんの挨拶に参加者の拍手が湧いた。五十人の手によって成し遂げられた集積の山はまさに圧巻の光景だった。それを見ただけで大きな達成感と一体感が私の胸に湧いてきた。
「不定期ですがこういった会は二ヶ月に一度くらいやってますので、ぜひまた参加してもらえたらと思います。それに僕ら以外にもやってる人がいるのでそちらにも参加してみてください。僕も参加してるんでまたお会いするかもしれませんね。
じゃあ今日はこれで解散ということで、みなさん、お疲れ様でした」
お疲れ様でした、という笑顔とともにまた自然と拍手が湧き起こった。誰もが人の役に立てたことで大きな高揚感を感じているのだろう。私も同じようにとても心が昂っていた。これほど貢献の気持ちを感じられたのは初めてかもしれなかった。
それは、もう一人の私の存在を社会から許容されるような、そんないっときの救済を私にもたらしてくれた。
ふと空を見上げると、白い雲が寄り集まっていくつもの帯を成していた。繋がった一つ一つの雲は、よりおおきな存在となって、雄大な青い空を泳ぐようにふんわりと浮かんでいた。太陽を覆い隠すほどのその白のカーテンは、まるで強い日差しの適度な遮光を担っているようで、両者はそこに共存しながら、調和していた。
その美しさに見惚れていると、いつのまにか私の目に涙が滲んでいた。視界の先が海のようにゆらゆらと揺れていて、それで遅れたように気がついた。
「新垣さん」
それが斉藤さんの声だとわかったものの、そのまま前を向くと雫がぽろりこぼれ落ちそうだったので、その姿勢のまま、私は「はい」と返事をした。いかにも視線の先に何かを見つけたような雰囲気を装って。
しばらくじっとしていると気持ちが落ち着いてきた。ぱっと横を見ると、斉藤さんも同じように空を見上げていた。何も言葉を発さずにずっとそのままでいたらしい。いつのまにか参加者たちの姿はほとんどなくなっていた。
「新垣さんは空が好きなんですね。じっと見上げている姿をよく見かけます」
そうなのだろうか、と私は思った。自分ではそこまで空に対する敬愛の自覚は抱いていなかった。むしろ指摘されていま初めて知ったくらいだった。私は、そんなによく空を見上げているのだろうか。
「僕も落ち込んだときなんかによく見上げてますが、僕の場合は空というよりも太陽を見ているのかもしれません。でっかくて、あったかくて、あの圧倒的な存在感を前にすると、小っちゃいことなんてどうでもいいと思えてくるんですよね」
「わかります。あまりにも眩しくて、力強くて、嫉妬すらも湧かないですよね」
「もうごめんなさいって感じになります。勝てっこないですもん」そう言って斉藤さんはあははと笑った。
女性は嫉妬の対象として、男性は勝ち負けの対象として、自分と他者を比べる。その違いがなんだか面白いと私は思った。もしかしたら私は、青い空や白い雲に対して嫉妬しているのかもしれない。
「あの圧倒的存在が見守ってくれているんだと思うと安心できます。勇気をもらえます」
「斉藤さんは太陽と仲が良さそうですもんね」私はちらと相手の腕を見た。
「ええ、ええもう。とくに今年の夏はお世話になりっぱなしでした」
「そんなにイベントに参加してたんですか」
「ほぼ毎週欠かさずどこかの会には参加してました。自分たちでも主催していましたし」
「それはそれは。立派なことですね」私は素直にすごいことだと思った。
「いやあ、立派じゃないんですよ。よこしまな気持ちをもってやっていたんですから」
「よこしまな気持ち、ですか。別にお金がもらえるわけでもないのに」
「まったく、そうなんですよね」斉藤さんはそう言ってまたあはは、と白い歯を見せた。私もそれ以上追及するのはやめておいた。
そろそろ帰ろうかな、とふと空から目線を外すと、斉藤さんの顔がこちらを向いていた。
「稲垣さん、今日の夜は何かご予定がありますか?」
「いいえ、とくに」
「よかったらご飯に行きませんか」
「おっ、お疲れ会ですか、いいですね。行きましょう」
すると斉藤さんの顔つきがふいに真面目になった。
「これはデートのお誘いです。先に言っておかないと卑怯かなと思いまして」
斉藤さんは、私の目をまっすぐに見つめていた。
私は、自分がいま言われた言葉がいかなる意味をもっているのか、一瞬理解が遅れた。それは間違いなく、嬉しさからくるときめきではなく、予期せぬ事態に面した困惑がもたらすものだった。
──まさか、なんということだろう。
私は思わず返答に窮してしまった。私にとっての『これ』は、そういう意図をもってはいなかった。それはむしろ私にとっては望まざることだった。
「あっ、聞く順番がなんだか前後してしまいましたが、新垣さんはいま彼氏いるんですか?」
私の苦悶などつゆ知らず、目の前の相手は随分とのんきな問いを投げかけてきた。
──この人は一体何を言っているんだろう。私は心の中でつぶやいた。
〝あの私に〟、彼氏などいるわけがないだろう。