2023/03/17

仮)私と私、と私 14

 

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 白い煙がもくもくと漂う店内、ちゃきちゃきと動き回る店員の愛想のいい受け答え。酔っ払い客の笑い声を容易に上回る歓迎の挨拶が店の活気を演出している。思わず、ご苦労様です、と私は言いたくなった。

 壁には無数のメニューが貼ってあって、一週間毎日通っても全部制覇することはできなさそう。一部のメニューは黄ばんでいて文字が読めないか、それか何を指しているのかよくわからない。このての店に来たのは随分久しぶりだと私はぼんやり考えていた。

 「すいません騒がしくて。だけど美味いんですよ、ここ」

 つなぎから着替えた斉藤さんはポロシャツにショートパンツというラフな格好になっていた。素足にサンダルをつっかけただけの素朴な風貌は、なんとなく私の想像していた通りだった。

 店のチョイスも斉藤さんの印象そのままだった。異性に対して気取らない男性像を想像していたからだ。

 「嫌じゃないですか?」

 「ええ、ぜんぜん」

 「よかったあ。新垣さんならそう言ってくれると思ってたんですよ」

 それを聞いて私は思わず、胸の内で苦笑いを浮かべてしまった。

 〝あの私〟だったなら、即座に店を替えるよう促していたことだろう。騒がしい店は円滑な会話に支障をきたすだけでなく、男と女の艶やかな雰囲気に大きな弊害をもたらす。カラオケ、クラブ、居酒屋、それらの喧騒が掻き立てるのは安直な性欲であって、相手の存在や心といったものに対する欲望ではない。向かうべき方向性がハナからズレてしまう。

 過ごす空間によってその後の関係性が決まってくる。あるいは男もそれを意図して喧騒を選ぶことがあるのかもしれず、そこは女側がちゃんとコントロールしなければいけない。ゲームはその段階からすでに始まっているのだ。

 生ビールを二つ注文するとともに早そうなつまみを三品ほど頼んだ。斉藤さんのおすすめだというエビチリと唐揚げも注文し、おしぼりで手を拭っているとすぐに冷えたジョッキがテーブルに運ばれてきた。居酒屋はこのスピード感だったな、と、なんだか学生時代の懐かしさが甦った。

 「それでは、今日はほんとお疲れ様でした」

 握ったジョッキを互いにかかげてカチンと音を鳴らす。その身も蓋もない接触音はあまりにもムードに欠けていて、私は思わず、笑ってしまった。

 「何か面白いもんでもありましたか」ぐびぐびと一気に半分ほど杯をあけ、斉藤さんが言った。

 「ああいえ、こういう感じのお店には久しぶりに来たもので」

 「やっぱ普段はもっとオシャレなお店に行ってますよね」

 「いやそんなこともないんですけど。最近あんまりこういうこともやってなかったので」

 「ボランティア尽くめですか。さすがですね」

 目的意識をもたずして男性と二人で食事にきたのはいつぶりだろうか。友人というカテゴリーの相手をもたない私にとってはあまり経験のないことだった。それだけにこの男性を前にしてどう振る舞えばいいのか、私は、少し戸惑っていた。

 「そういえば新垣さんはお仕事なにされてるんですか」

 「あっ、ええと、会社の受付の仕事です」

 「ええっ、マジですか。いや正直、めちゃくちゃ意外です。そんなイメージには見えませんでした」

 まさか私が仕事のことを聞かれる側になるとは。

 「斉藤さんは普段どんなお仕事されてるんですか」

 「僕は港の倉庫で働いてますよ。がっちがちの力仕事ですね」

 まさしく私が普段知り合うことのないタイプの相手。肉体系の仕事がイメージ通りだった、という反応はどこか失礼にあたるような気がして、私は話題を変えることにした。

 「そういえば斉藤さんがボランティアに参加したのは何かきっかけがあったんですか」

 「ああ、こう見えても、って、どう見えてるかわかんないですけど、むかし僕、けっこう悪いことばっかしてたんですよ。街の人に迷惑かけたりして」

 「暴走族、とか」

 「ええ。ろくに学校も行ってませんでしたし、親との関係もよくなかったですしね。そんななかでも親戚のおじさんだけはずっと僕のことを気にかけてくれてて、チームを抜けるきっかけを作ってくれたんです。そこそこ命懸けで」

 そう言って斉藤さんはティーシャツを捲り上げた。見えたお腹にはみみず腫れどころではない生々しい裂傷や殴打の跡が無数に刻まれており、その出来事の壮絶さを物語っていた。

 「そういうのを辞めるのって簡単じゃないんですね」私は思わず露出された肌から目を背けていた。

 「厳しい掟がありますからね。まあおじさんが仲立ちしてくれてなかったらもっと酷い目に遭ってたか、もしくはガードレールにでも突っ込んでもうこの世にはいなかったかもしれないですね。あの頃は命の尊さなんて微塵も考えてなかったですから」そう言って笑うと斉藤さんはビールをすすった。

 そこそこハードな過去をさらりと述べるこの男性に、私はむしろ人間としての純粋さを感じた。そこには武勇伝を語って男らしさを見せつけようだとかそんなプレゼンテーションの意図はつゆほどもなく、ただ正直に出来事を伝えようとしている意志が感じられた。

 「病院に見舞いに来てくれたおじさんが言ったんです。お前、こんだけ好き勝手やってきたんだから、何か一つくらい世の中に善いことをしてみろ、って。それで漠然と〝じゃあボランティアか〟と考えて、ネットで「ボランティア 初めて」みたいに検索して、そのときに開催されてた会に参加してみたという感じですかね」

 「そうだったんですか」

 相槌を打ちながら私は、表情を隠すようにジョッキを大きく傾けた。自分と似たようなきっかけに思わず親近感を覚えたことを相手に悟られたくなかったのだ。

 私にとってのそれも一つの罪滅ぼしみたいなものだった。それをやっているからこそ自分の存在意義を見出すことができ、社会に対する顔向けができる。いわばSNSにおける承認欲求みたいなもの。ボランティア=善行という共通認識のもとに、自分のやっていることを象徴的に「いいね!」と言ってもらうことで、自分の存在そのものが認められたような気になる。

 善行によって悪行が許されることは決してないと思う。けれども、せめて善行でもしていないことには、自分のなかにある黒いものとまともに向き合っていくことはできないのだ。

 「すいません、なんか深刻な感じになっちゃって。話題変えましょう。そうだ、新垣さんの趣味ってなんですか?」

 私は飲んでいたビールを噴き出しそうになった。まさか、男をその気にさせて残酷に踏みにじったあとの表情を眺めることです、なんて言えるわけがない。

 「趣味は⋯⋯」

 少し考えてみて、私は言葉に詰まってしまった。〝あの私〟を抜きにして考えてみると、自分にこれといったものがないことに、今さらながら気がついたのだ。

 「もしかして〝善行〟が趣味ですか」

 「うーん⋯⋯そうです、かね」

 「はっはっは、稲垣さんらしいや」

 この人の目には、私はどんな人間に映っているのだろうか。前にストイックな印象だとか言っていたけど、まさか私のことを善行ばかりしているヒューマニストのように思っているのではなかろうか。

 「休みの日に会がないときはどうしてるんですか。友達とどっか遊びに行ったりしないんですか」

 「友達⋯⋯」もちろん彼らが友達であるはずがない。

 考えてみると、私という人間はほんとうに中身のない存在なのだとあらためて思い知らされる。自分の中の〝あの私〟を覆い隠したなら、自分という人間像を説明するものが何もなくなってしまうのだ。

 「友達はあんまりいないかもですね」

 「おお、一匹狼じゃないですか。群れないんですね。やっぱすごいなあ」

 再び都合のいいように解釈してくれたらしい。おそらく社交辞令もあるだろうが、もはや私ではない私が、この人のなかで一人歩きしているのがありありと窺われる。

 さすがにそろそろ限界だな、と私は思った。

 そもそも善行の場において私は善行以外のことを求めてはいない。それが私にとっての誠実であり、けじめだった。中途半端なことは性格上嫌いで、やるならとことんそれだけを追求したかった。そういう意味ではこの人の言う通りストイックな姿勢で臨んでいるのかもしれなかった。

 意を決すると、私は握っていたジョッキをテーブルに置いた。

 「あの斉藤さん、私は斉藤さんの想像されているような女ではありません」

 「えっ、突然どうしたんですか」

 「斉藤さんは私の人間性をなんだか都合のいいように解釈しておられますが、私はそれとは真逆の女だと思ってもらった方がいいです」

 突き放すように、私はきっぱりと言った。

 「まさか、僕がデートの誘いって言ったから⋯⋯いやいやいや、僕は新垣さんをそんな軽い女だと思って見てないですよ。そんな酔った勢いでどうのこうのとか、マジでそんなふうに考えてません」

 「いや、そういう意味じゃなくてですね」

 「僕はちゃんと一人の女性として新垣さんを見ています。長期的な関係構築を前提として今日お誘いしてますよ」

 だとするならますますこのままではいけない。

 「そのお気持ち自体は嬉しいです。けれども人にはA面とB面があって、斉藤さんは私のA面だけを見て私の人間性を認識しておられます。A面の私は善行に従事しているときの私であって、それはいわば作られた新垣アユミなんです。本来の新垣アユミという女は、はっきりいってそんなにいい人間ではありません」

 何を本気でこんな不毛な説明をしているのだろう。けれどこれも私にとっては誠実な対応なのだ。

 「なんだか言ってる意味がよくわかりませんが、それって僕がむかし悪やってたことと同じじゃないですか。悪い自分もいたし、そういう時期もあった、という」

 「斉藤さんは過去の話でしょう。私は現在進行形なんです」

 「何か悪事に手を染めているんですか?」

 「いや、まあ。──ええ、そうですね、そういうことです。だからその罪滅ぼしでボランティアをしているというだけの話ですよ」

 もはや半分ヤケクソになって喋っていた。とっとと帰って飲み直したい気分だった。

 すると目の前の相手は考え込むようにして押し黙った。ショックだったのか、眉間に険しいしわを浮かべ深刻な顔をしている。ただ、これで疎ましく思われるのだったら、私にとっても本望だった。

 どうしてこんな場に来てしまったのだろうか。今さらながら私は後悔の念に駆られていた。

 すると斉藤さんはぱっと顔を上げ、私の目をまっすぐに見据えた。

 「俺がアユミさんを変えますよ。アユミさんを、悪事から抜けさせてみせます」そう言うと、残った杯を一気に飲み干した。

 俺、という言い方に、私は、この男性のB面を垣間見た気がした。

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