2023/03/18

仮)私と私、と私 15

 

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 ビルを出ると木枯らしが歩道にたまった落ち葉を吹き上げていた。帰宅ラッシュの街には、マフラーを巻いた会社員がちらほら見られ、そろそろ秋が深まってきたことをみなに知らせている。

 肌寒いが男女の遊戯を楽しむにはいい季節がやってきた。服屋さんには冬物の洋服が並び、ご飯屋さんには旬の食材が置かれていて、自然には紅や黄色の化粧がほどこされる。男にとっては女を誘う口実が豊富に用意され、私の個人的な統計では、この時期に男は出会いに対してもっとも積極的になる。また女の側も平常よりも随分とウェルカムな状態になる。それはもちろん肌寒くなってくると人恋しくなる、などといった熱情からではなく、その先に待ち受ける冬の各種イベントを見据えているからに他ならなくて、そこには歴としたお互いの計算の思考が作用している。

 私としては、この時期はいわば〝書き入れ時〟だった。毎年秋にもっとも出会いの機会が訪れ、デートという名のゲームに興じる日が多くなる。平日はほぼ稼働状態が続き、場合によっては休日も活動時間に充てることになる。文字通りの休みを大切にする私にとっては例外的な行動だった。それくらい絶えず訪れる機会を目一杯堪能するのだった。

 あまり念入りに糸を張りめぐらせなくても男が餌に食いついてくるうえ、自分から相手に口実を提供してやらなくていいのも楽だった。だから私という吸血鬼が、男からすすった生き血でもっとも肌を活き活きとさせているのが、この時期のはずだった。

 けれども今年のシーズンはあまり乗り気ではなかった。それは、斉藤という男と知り合ったことが原因だった。

 体験してみて初めてわかった。私は「率直」な男が苦手だった。

 素直な男は大好物だ。彼らは私の思ったように反応し、私の思ったとおりに動いてくれる。その分、相手の気持ちを踏みにじったときの反応も格別で、まっすぐに〝かわいそうな顔〟を私に見せてくれる。その顔が悲惨であればあるほど私の快感は高まり、それまでに費やした労が報われたと感じられる。

 けれども率直な男は私の統制下からことごとく外れていく。斉藤という男にはその事象をまざまざと見せつけられた。

 私が恋愛の土俵にはあがらないことを相手に表明しても、男は決して諦めることを知らず、誘いの手を一切緩めようとはしなかった。別にしつこいわけではない。私が拒否すればそれ以上無理に粘ったりはしないし、強引にこちらと距離を縮めてこようともしない。そこは一貫して紳士なのだけど、ただとにかく、頑なに私との関係構築を諦めようとしないのだ。

 それで私も、何度も断っているのが申し訳なくなるのと、それだったらいっそのことこちらの土俵に引きずりこんでやろうと、相手をいつものように翻弄しにかかるのだけど、それはそれでこちらの誘いには全然乗ってこない。鼻が詰まっているのか私の撒く餌にはまったくそそられていない様子で、張りめぐらせた仕掛けはどれも空振りに終わってしまう。まるで、私には興味があっても私との恋の駆け引きには興味がない、といった態度なのだ。

 いつもの角を曲がると男がこちらに向かって手を振っていた。見慣れた白い車に乗り込むと、男は「じゃあ早速行きましょうか」と車を発信させた。タバコの匂いがほのかに鼻についた。

 雑然とした景色が窓を流れていく。同じようなコートを着た四人のサラリーマンがやたらと弾んだ様子で雑居ビルのエレベーターに吸い込まれていった。メイド姿の若い女が道ゆく人々に無表情でティッシュを手渡している。それを無視したサングラスの女が肩で風を切るようにして横断歩道を渡った。毛皮のコートを変質者のようにポケットに入れた手で広げ、高いヒールの音をわざわざ奏でるように地面に叩きつけている。すれ違った年配の女がしかめっ面で相手の背中に一瞥をくれた。

 なんだか私は苛立っていた。斉藤という男の行動は予想がつかない。

 考えてみればあのてのタイプとはこれまであまり関わってこなかった。学生の頃にたぶらかせた相手にも、試しに付き合ってみた恋人にも、あのようにマイペースな男はいなかった。存在として認識はしていた。あまり学校に来ることもないのに、来たら目立ちたいのかやたらと問題を起こしてみんなの話題になっていた男たち。彼らはまわりの女には不思議と人気があるようだったけど、私にはどこが魅力的に映るのかさっぱりわからなかった。

 きっと私の本能が無意識で避けていたのだろう。私の手のひらで転がることのない男の存在を。

 「どこか体調でも悪いのですか?」運転している男が言った。「ちょっとだけ。少し眠ったら治ると思うので目をつむっていていいですか」私は答え、助手席のシートに頭をもたせかけた。この寝心地の良さを感じたのは初めてではなかった。

 あの男と接していると妙に居心地の悪さを感じる。まるで私のなかにじりじりと踏みこんでくるような、そんな気配があの男からは漂っていた。

 私にとっての男女関係は人形劇のようなものだった。

 紐で吊った私という人形を舞台に立たせ、上から覗いて人形を魅力的に見えるよう動かしていく。しかるべきところで男の体に手を触れて献身ぶりを演出したり、こくんこくんと頭を振って忠実さを示したりする。ときには相手の体に足を寄せて距離感を縮めてみせることもある。

 そうして人形の口をぱくぱくと動かし、その場面において最適なセリフを、私が喋る。それを受けた男の人形のひたいに汗が滲む様子や、落ち着きなく困惑する挙動や、次第に真剣に変わっていく表情などを上から冷静に眺めては、私は一人、胸の内でほとばしる快感に浸る。いってみればそれは、男もそうだが私自身も操り人形みたいなものなのだった。私が私という体を操って恋愛のお遊戯に興じる。舞台のうえではお互いが演出家の役割を担っているのだ。

 けれどもあの男はハナから劇の設定を破壊しにかかった。私が手に紐を握って舞台を見下ろしているところに、いきなり人形も持たずに横から「何してるんですか」と話しかけてきた。男女の駆け引きも何もない、いかにも傍若無人な振る舞いだった。それによって私がまるで滑稽に見えてしまったことで無性に男には腹が立った。あの男の率直さには演出という計算の思考がこれっぽっちも働いていない。そのためにときに私は、男に辱めを受けているような気持ちにさせられた。

 それなのにどうしてあの男との関係を断ち切ってしまわないのか。それは私にとってもとにかく意外で、どうにも困惑してしまう私自身の行動だった。

 「着きましたよ」男の声が聞こえたので私は重いまぶたを開いた。車はショッピングモールの駐車場に停まっていた。

 あの男に調子を狂わされたせいで私は男女の遊戯にあまり身が入らなくなっていた。例年だったらこの時期は各地の紅葉を見に出かけているのだけど、相手に聞かれてガラにもなく映画を観たいなどと口にしていた。男と会話をするのがどこか億劫な気持ちになっていたのだ。今日は自分の代わりにフィルムに舞台を演出してもらおうと思った。

 上映されているのはアニメーション映画だった。ある女子高生が仮想空間のなかで歌姫として人気を博していく物語で、主人公は現実の世界ではできないことを仮想世界のなかで具現化させていく。ところがあるキャラクター(アバター)が仮想空間で行われているコンサートをぶち壊しにし、各地で暴れ回ったそのキャラクターは現実世界において自警団から指名手配犯のような扱いを受ける。主人公はそのキャラクターのことを気にかけていて、現実世界に存在するアバターの主と心の交流を図るために、自身のアバターと現実世界の女子高生である自分とを統合するような行動に打ってでる。

 暗天のなかで私は考えた。私にとってのアバターはどちらなのだろうか。

 ボランティアに興ずる善人のようなA面。男を翻弄する悪魔のようなB面。どちらが現実世界に存在する私で、どちらが創造によって活動している私なのだろう。私という人間の本質が最近よくわからなくなってきている。

 斉藤という男には現実と仮想の区別がまったくない。彼は私という人間と真っ向から対峙しようとする。それが私にとってはとても居心地が悪く、彼と接することを煩わしく感じさせた。

 けれども、それがもしかすると、私のなかの私を統合させてくれるのかもしれないと、私は、どこかでそんな期待をしているのかもしれなかった──。

 「終わりましたよ、アユミさん」

 いつのまにか映画の上映は終了して室内は明るくなっていた。席に残っている人の数もまばらになっている。

 「僕といるのが退屈ですか」

 男は少し憮然とした表情を浮かべていた。

 「いえ違うんです。ほんとうに体調がちょっと悪いだけで。お気を悪くさせたのだったらすいません」

 「そうですか。だったらいいんですが」

 気を取り直したように微笑むと、男はがばっと席から立ちあがった。

 「今日はこれで帰りましょうか。駅まで送りますよ。早く万全にしていつものアユミさんとこの時を楽しみたいです」

 「はい、すいません⋯⋯。」

 ──一度あの男と向き合ってみなければいけない。私の心にはそんな思いが芽生え始めていた。

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