2023/03/22
仮)私と私、と私 16
改札を出ると駅前は広場のようになっていた。駐車場はなく、車は駅の手前までしか侵入できないためおのずと広場が待ち合わせ場所になるようで、あちこちに相手を待ちぼうける男女が立っていた。
はにかんだ様子で男がこちらに手を挙げた。見つけると私は駆け足で男のもとへと向かった。
「待たせてごめんね」私が言うと男は全然大丈夫、と微笑んだ。少し怯えたようないびつな笑顔だった。相変わらず曲がった背中が陰鬱な印象に重ね塗りをほどこしている。
とりあえず歩こうと私たちは舗装された川原の土手を進んだ。すでに視線の先には鮮やかに色づいたもみじの木々が映っていた。今週末がもっとも見頃です、と言っていたアナウンサーの言葉は本当だったようだ。
「アユミの方から誘ってくれるなんて珍しいね」男は言った。いつも自分から誘っては断られ、懇願するとようやく会いにくるような私が、デートの誘いを、しかも一般的な男女がするようなプランでもって提案してきたことに、男はかなり興奮しているようだった。
ここで私は「遊助くんと観たかったの」と、あえてわざとらしい台詞を口にした。これが要点であることを強調するように、立ち止まって少し間をおいてから、普段よりも音量を落として声に出した。
振り返りざま不意にそれを浴びた男は、途端に目を大きく見開き、その場でしばし固まってしまった。まさしく〝雷に打たれたような〟という形容そのままの様態だった。恋愛ドラマのような典型的な演出の方が効果的だろうと目算を立てていた私は、自身の嗅覚にあらためて称賛を送りたくなった。
衝撃に浸る男を置き去りに、私は男を追い越して先を歩いた。その動作が照れ隠しのように映ることも私は計算していた。男が横に追いつき、私たちはしばらく無言で土手を歩いた。その間に男のなかで妄想がどんどん膨らんでいっているのを私は知っていた。どうやら、これまでとは局面が一変したことを男に印象づけることには、成功したようだ。
前方にあらわれた橋を渡っていると、欄干に寄りかかって自撮りをしている男女がたくさんいた。ちょうど背景に色づいた大きな山が映るようだった。混雑している橋の真ん中の手前で立ち止まり、私はコートのポケットに手を入れた。風景を撮るのだと思っているのか、男は一歩退がって立っていた。
スマートフォンを前方に構えて「早く入って、遊助くん」と私が言うと、男はかなり驚いた表情を浮かべた。もちろん、新垣アユミが写真嫌いだと信じ込んでいるからだ。
隣に並んだ男はおずおずとこちらに顔を寄せてきた。私は男の肩をつかんで引き寄せると、ごっつんこする勢いで男の頭に私の頭を擦り寄せた。男の顔が電気ポットのように沸きあがるのがわかった。私は構えたスマートフォンを上へ下へと傾けたり、シャッターの部分に指が届かないといった素振りを見せたりした。不慣れさによって辻褄を合わせる意図もあったが、この状態をできるだけ長く男に体感させるためでもあった。これほどの接近も、接触も、私たちにとっては初めてのことだった。画面に映った男の顔はうしろの比ではないくらい紅く染まっていた。
橋をわたるとその先一帯は観光地になっていた。道には食べ物屋や土産物屋が軒を連ねていて、歩く人々を呼び込む活気のよい声が方々からあがっていた。遠くの方には人力車が走っているのも見えた。何度も目にしたその光景に「これは迷っちゃうね」と私はいかにもはしゃいだ様子の声をあげた。男は初めてだったのか足を止め、間の抜けたような感嘆の声をあげている。
「あそこのお煎餅屋さんが美味しいらしいよ」私は先導するように歩き出した。男もあとをついてきたもののすぐに人混みによって私たちは分断されてしまった。私は立ち止まって男を待つと、「はぐれたらどうしよう」と不安そうな表情を浮かべ、うつむいた。すると男は〝ここだ〟といわんばかりの勢いで私の左手を取り、「大丈夫だよ」と言って手のひらにぎゅっと力を込めた。加減のわかっていないその手に反射的に浮かんだしかめっ面を伏せ、私は急いで顔に恥じらいの色を作った。そしてそのまま男と目を合わせないように歩くことに努めた。
いらっしゃいと迎えられた店には十種類以上の煎餅が陳列されていた。表面に塗る汁やまぶす粉によって味付けが変えられている。「どれがいい」男に聞かれ、私はスタンダードな醤油を指差した。男が財布を開けているところから離れて立っていると「はい」と顔の前に袋が差し出された。「ありがとう、嬉しい」私は贈り物を喜ぶ少女のような笑顔を見せた。男がこの前会った時に「アユミの守護天使になる」と言っていたのが脳裏によぎった。
脇道にそれて立ち止まり「ここで食べていい?」と男に確認してから私は煎餅にかじりついた。「美味しい」と満面の笑みを浮かべ「遊助くんも」と男の顔の前にそれを差し出した。受け取った煎餅にかじりついて「めっちゃ美味しい」と男が言っているところに「私も私も」とせがんで、そのまま男の手元に口をもっていってぱくりとかぶりついた。「ほんと美味しいね」顔を向けると男は、はにかんだ様子でこくんと頷いた。
食べ歩きの品をいくつか買い二人で共有しもって楽しんだあと、私たちは街の中心部にあるお寺に向かった。そこは由緒あるお寺らしいけれども詳しいことはよく知らない。一般に開放された敷地に広くもみじが咲き誇っていて、紅葉を見にきた客たちにはここが定番のスポットになっていた。入り口の門をくぐると案の定、色づいた木々を背景に写真を撮る人たちで溢れ返っていた。
敷地内をひととおり散策して庭に出ると、自撮りに難儀している中年の夫婦が目についた。「よかったら撮りましょうか?」私が提案すると夫婦は喜んだ様子でそれに応じた。似たような顔をした男女が並んでフレームに収まっていた。「どうでしょうか?」確認するとバッチリです、と夫婦はとびきり喜んだ笑顔を見せた。そしてあなたたちも、と促されたので私は自分のスマートフォンを手渡した。
「私たち、どんな関係に見えてるかな」男の隣に並んでぼそりとつぶやいた。「ど、どうだろうね」男はあきらかに緊張している様子だった。
じゃあ撮りますよ、はい、チ⋯⋯くらいのところで私はぶさ下がった男の手をぎゅっと握った。男の体は一瞬びくりとなって弾んだ。「ありがとうございます」撮られた写真を見てみると男は後ろからカンチョーされたみたいな顔で写っていた。
ぶらぶら歩いていると雑貨屋のような店の前にきた。「ちょっと寄っていいかな」私たちは店内へと足を踏み入れた。
土産物や手作りの小物などがいくつも置かれていて、男と手を繋いだ若い女がかわいいともだえていた。私は食品サンプルがくっついたキーホルダーを見つけるとそれを手にとった。男が「かわいいね、それ」と寄ってきて、「二人でお揃いにしようか」と私は箱のなかを物色しだした。
「どれがいいかな」みかんやにんじん、親子丼や寿司などを手にとって眺めていると、男が茶色い唐揚げをひょことつまみあげた。「好きなの?」聞くと「うん」と男は少年のような笑みを浮かべた。「だけど可愛くないね」と箱に返そうとする男を制し「これにしよう」と私はレジに二つ持っていった。
歩道に出ると昼過ぎのピークの時間だからか、人の波はかなり混雑さを増していた。ちょっと休憩しようと私たちは路地の奥にあった二階のカフェに入った。
表からはあまり目立たないのか意外にも空いていて、私たちはすんなりと窓際のテーブル席に案内された。窓からはびっしりと歩道を埋める観光客らの頭皮を高みの見物できた。
なんとなくそれらしい、ということであんみつを二つ注文し、先に出てきたコーヒーカップに口をつけた。店内には落ち着いたジャズのBGMが流れていた。
男は小さな袋から唐揚げを取り出して愛おしそうにそれをじっと眺めていた。私も同じように唐揚げを手にとって眺めた。ほんとうによくできているものだと思わず感心してしまった。衣の細かい凹凸と油の照り具合が絶妙だったのだ。
「一生大事にするよ」男は言った。男の目はじっとこちらを見つめていて、それは暗に何かを伝えているようだった。この意味わかるよね? そういった様子の男の視線を真っ向から受け止め、「私も」と頷き、柔らかい微笑みを相手に投げた。
いらっしゃいませ、一人の男が入ってきて横の席に座った。それと同時にあんみつが二つテーブルに運ばれてきた。
「めっちゃ美味いじゃん、これ」大袈裟に言う男に合わせて頷いた。それよかこの唐揚げをつまみにビールでもいきたいところだと私はぼんやり考えていた。あんみつの甘さは、男の素直さと相まってなんだか胃もたれしそうだった。
コーヒーカップにちびちび口をつけていると、あんみつを食べ終えた男があらたまった様子で椅子に座り直した。
「アユミ──」続く言葉を思案しているようだったが、首を横に振り「いや、形式にこだわるなんて野暮だね」と男は言った。私は手にしたカップをソーサーに乗せて男を見た。
「僕がどれほどアユミを想っているか、それは今さら言うまでもないことだと思う。何度も重ねて言うのはしつこいだろうし、口にすることでどんどん軽くなっていってしまうのも僕は嫌なんだ。言葉なんてのは薄っぺらで、安っぽくて、大して価値はないものなんだ。にも関わらず、こうして胸の内を相手に伝えるためには、人は言葉を用いるしかない。そのことを、僕は、とても残念に思っているよ」
男はまるで何かの役に成りきっているようだった。私はテーブルの下で自分の太ももを強くつねっていた。
「前回会ったときに僕はアユミの守護天使として生きるんだと宣言したよね。常にアユミの近くにいて、アユミに何かあったらすぐに僕が出ていって守れるようにすると」
私はこくん、と頷いた。
「その使命は、今日という一日を過ごしたことによってより高い次元のものへと昇華されたようだ。ただ近くにいて守護するだけに留まらず、これからはより積極的にアユミの人生に関与していくべきであるようだ。そしてこれまで以上に直接的な影響をアユミに与えていかなければならないようだ」
男は陶酔した様子で物語った。その口調はまるで唄っているかのようだった。
「それと同時に僕の肩書きもおのずと昇格させなければいけないようだ。もはや守護天使と称するのは適切ではないだろう。これからは導きの天使として、僕は、アユミの手をとってこの先の人生を先導していかなければならない。ねえ、そう思うだろう、アユミ」
返答する代わりに私は微笑みを男に投げた。これまでも確信的な問いに対して、頷くことはしなかった。
「僕はようやく自分の使命に目覚めたよ。そうだ、このために僕はアユミに、いや、僕たちは出会ったんだ。コンビニの店員とその客、まったく奇跡のような出会いだったけれども、これはむしろ、必然的な巡り合わせだったんだよ。いつかそうなると決まっていた、そのいつかが、ついに訪れただけだったんだ。ここまでくるまでにお互いにほんとうに長かったよね。でもこれでようやく行き着くべきところに到着したんだ」
男は自分で納得したようにうんうん頷いていた。
「気づかせてくれてありがとう。僕は決して、アユミを裏切ったりはしないからね」
「ありがとう」そう言うと私は店の時計をチラと見て「時間、そろそろじゃない?」と男に言った。
「あっ、いつの間にかこんなに時間経ってたんだ。早いなあ。あーあ、バイトだるいなあ」
「遊助くんは店から信頼されてるから。頑張ってきてね」
「うん。じゃあ出ようか」
「ううん、私はもう少しここにいるよ。せっかくだから夕方のライトアップも見ていこうと思って」
「そっかあ⋯⋯一緒に見れないのが残念だよ」
「大丈夫、またいつでも見に来れるから」
「──うん、そうだね」男は噛み締めるように言うと、「じゃあ」と立ち上がって店を出ていった。窓ごしに小さくなっていく男の背中に私はいつまでも手を振っていた。
カップに口をつけ私は冷めたコーヒーをすすった。そしてスマートフォンの写真フォルダを開き、履歴から画像を選択して削除した。しながら、テーブルの上の唐揚げを左手でぐっと掴み、おもむろに横の席にその手を伸ばした。
「あげますよ」ぱっと手のひらを広げ、相手に向かって突き出した。男は無言でそれを受け取った。
「これがあなたの知りたかった私のB面です。よくわかったでしょう?」私は前を向いたまま、これまでの一部始終を見ていた男に向かって言った。
「相手は彼だけはありません。あんな感じで私を求めている男が常時私のまわりには複数人います。そして私はそのうちの誰とも関係を結ぶことなくその状態を楽しんでいます。相手が苦悶する様子をいつまでも楽しむためにね」
手にしたカップを飲み干すと、私は勢いよく立ち上がった。
「新垣アユミはあなたの思っているような女ではありません。はやいところ真っ当な相手を見つけてください」
斉藤という男に真実を突きつけると、私はそのまま振り返ることもなく店をあとにした。
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