2023/03/27
仮)私と私、と私 17
沿道に色褪せた落ち葉が敷き詰められているなかで、私は今日も、せっせと善行に興じていた。公園には各種行楽イベントによって溜まったゴミがあちこちに散乱している。
参加者の一人に見知った相手がいることには気がついていた。向こうも私のことを認識しているはずだ。
あれ以来、彼は、私への連絡を断っていた。もともと私から相手に連絡することはなく、今は事実上の関係断絶の状態にあった。私にとってはこれで良かったと思っているし、彼にとっても良かっただろうと思う。異性に対する気持ちは盛り上がる前に鎮火できるにこしたことはない。それがもっとも心身へのダメージが少なくて済むのだから。
見上げた空はどんよりと白く濁っていた。太陽を遠くに感じる冬模様の空だ。
沿道に生えた木々はすっかり衣を落とし、今にも朽ちてしまいそうな細っこい手足を広げ、この寒々とした空の下に思い切り素肌をさらしている。いかにも寂しげなその光景を前に、私はなんだか無性に、清々しい気持ちになった。とても潔いと思ったのだ。
何一つ期待していなかった、と言ったらやはり嘘になる。私も私自身のA面とB面が統合するのを想像したりしていた。その可能性もあるいはあるのかもしれないと期待したりもしていた。そしてそれはそのまま、相手に寄せた期待を意味していた。
けれども素顔をさらしたら、相手は予想通り、幻滅したようだった。それはそうだ、誰だってこんな悪魔のような女を前にしたら嫌悪感を抱かずにはいられない。私自身でさえそう感じるくらいなのだから。
自分なりの誠実は果たした。その結果なのだから、後悔はしていない。
敷地の中心にゴミ袋を集めて今日の会は終了した。そろそろ雪の季節だな、と私はぼんやり考えていた。そうなると善行もしばらくは休業期間に入る。会自体がほとんど開催されなくなるからだ。
それは同時に〝あの私〟の存在もしばし影を潜めることを意味していた。
一般に年末年始は男女の遊戯にとって特別な意味をもっている。そしてその特別な時期に一緒に過ごす男女というのも、お互いにとって特別な意味をもってくる。この時期の各種イベントを家族と過ごす人もいるくらいで、それらが有する重要性や価値が、他とは一線を画することが窺える。
そのために、ゲームとして楽しむには、ちょっと〝重い〟のだ。相手に与える心の傷も平常時よりも深くなり、引きずった私に対する相手の恋心もかなりと尾を引くようだった。
過去には何度かストーカー被害に遭ったこともあり、私はこの特別な時期における男との遊戯を意識的に回避するようにしていた。色づいた葉が落ちるとともにシーズンで遊びに興じた相手との関係も断つようにする。そうやってキレイに精算したうえでまた一月からの遊戯再開に備える。それが、もっとも健全なるこのゲームの楽しみ方だった。とにかく女々しい男が起こす面倒に巻き込まれるのは御免なのだ。
「アユミさん」
呼びかけに振り向くと、そこには斉藤さんが立っていた。
「何かご用ですか」
私は冷ややかな視線を投げた。今さら文句でも言おうというのだろうか。
「ちょっと付き合ってくれませんか。そんなにご足労はかけません」
斉藤さんは噴水のそばにあるベンチを指差した。その顔はいかにも怒っているように見えて、私はまた面倒に巻き込まれる予感を感じていた。
木製のベンチは冷たくてお尻が少し痛んだ。帰ってさっさと汚れた体を洗い流したい気分だった。
「あれからずっと連絡していなくてすいませんでした。俺なりにいろいろと考えていたもので」険しい顔をした斉藤さんが切り出した。
私は「いえ」と答えながら、それは当然だろうと思っていた。私としてもこちらから関係を半分辞去したようなものだったのだ。
「正直言ってショックでした。言葉でどれだけ言われても信じていませんでしたが、実際に目の当たりにしたことで、真実を受け入れないとダメなんだと思いました」
やはりこの人は私の人物像を勝手に作りあげていただけだったようだ。
「はっきり言って嫌な気持ちになりました。いえ、本音を言います。マジで吐き気を覚えました」斉藤さんは前を向いたまましかめっ顔になった。
私は思わず苦笑いしてしまった。自分で〝私〟を認識してはいるものの、面と向かってあらためて言われると、やはり傷つかないこともない。そっちで勝手に私を美化していただけのくせしてなぜ疎まれないといけないのか。不愉快に思ったものの、とりあえず最後まで話を聞いてやろうと、私は立ち上がるのを思いとどまった。
「相手を殴るとか、脅すとか、暴力で誰かを傷つけたくなる気持ちは俺にもわかります。そこには自分でも止められない苛立ちや鬱憤があるような気がします。けれども、純粋に恋心を抱いている相手をたぶらかせて傷つけるのは、それは、マジで酷いことですよ。体を傷つけられるよりもよっぽど深い傷を心に負わされると思います」
斉藤さんはこちらに顔を向けた。その顔にはとても悲しそうな表情が浮かんでいた。
「アユミさん、あんなこともうやめてください。中毒になってるんだったら抜けられるまで俺がとことん付き合います。今日から一緒に新しい人生を始めましょう。俺、マジでアユミさんとのことを真剣に考えてますから」
そう言った斉藤さんの目は赤く血走っていた。彼が言ったとおり、彼もそれなりに悩み、考えていたのかもしれなかった。
けれども私はふっと笑みを浮かべた。
「斉藤さんはどうして暴走族に入ったんですか? というか、どうして他人を傷つけていたのですか?」
「俺は⋯⋯たぶん、寂しかったんだと思います。愛情を求めていたんだと思います。だから仲間との絆を何よりも大事にしていましたし、絶対に裏切ってはいけないと思っていました。それでなかなかその環境から抜けられなかったのもあります」
「愛情──あとは「怒り」、とかですか」
「そうですね、それもあります。親のせいで自分がこんな目に遭うあうんだ、とか、なんで自分だけがこんな理不尽な思いをしなければいけないだ、みたいな、そういう気持ちで暴れ回っていました。きっとぬくぬくと幸せに生きている奴らが羨ましかったんでしょうね」
それを聞いて私はまた苦笑いを浮かべた。
「私には、理由がないんです」
目の前の噴水が音を立てて湧きあがった。
「自分が悪事を働いてしまうその動機が、これといって別にないんですよ。私のなかにあるのは、ただ、いたずらに湧いてくる衝動だけなんです」
私はベンチに乗っていた小さな石ころを泉に向かって投げた。公園内にはサーという噴水の音が響いていた。
「子供の頃からそうでした。物心ついたときには、私のなかにはすでに悪魔が巣食っていました。抑えようとしたこともありましたが、自分の意思でどうにかなるものでもありませんでした。何をしたところで無駄なんです。いくら囲って閉じ込めようともそれを突き破って這い出てくるんです」
冷たい風が空気を引き裂き、肌がぴりりとひりついた。
「斉藤さんにとって〝抜け出す〟というのは、悪事から一切足を洗うことを意味するのでしょう。それを辞めたら本来の自分の人生が始まるのでしょう。けれども私にとっての〝それ〟は、私が私であるのを辞めることを意味するんです。自分を否定することになるんですよ。だってこれが、私なんですから」
「いや違いますよ。アユミさんは思いやりと正義の心をもった素晴らしい人です」
「違わないんです。あなたは何もわかっていません」
苛立った私はきっと相手を睨みつけた。
「たしかに斉藤さんの言う『私』も、私には違いありません。それも私という人間のもつ一つの側面ではあります。けれども、あの悪魔のような一面も、私のなかでたしかに『私』という人間を形成しているんですよ。あれも私、これも私です。それらすべてを含めて新垣アユミという一人の女なんです」
斉藤さんは何か反論しようとして、そのまま口をつぐんだ。
「人は自分以外の人間にはなれません。こんなのは自分ではない、こんな人間性は嫌だ、そうやっていくら自分を否定したところで、その人がもつ生来からの気質というのは変えられません。これは私にとって与えられた宿命みたいなものなんですよ」
自分の悪魔をここまで必死に説明するのは初めてかもしれない。やはり私は、どこかで期待をしていたのだろう。
「私は、『私』を受け入れています。もはやこれは一生付き合っていかなければいけない、いわば持病みたいなものだと思っています」
私はぱっと顔をあげ、隣にいる相手に面を向けた。
「斉藤さんは、こんな新垣アユミを受け入れられますか?」
まっすぐに相手の顔を見据え、私は問うた。
「私という女と関係を結ぶのであれば、第一に私という人間をまず受け入れてもらわなければいけません。それがあなたにはできますか」
「俺は⋯⋯。」
そう言って口ごもり、斉藤さんはしばらくの間考え込んだ。私は相手の表情を見逃すまいと目を凝らしていた。
「難しいことはよくわかりません。だけど俺は思います、アユミさんは本気で人を好きになったことがないんじゃないですか?」
驚くべきことに、それはコトの核心をついていた。私はかつて一度も男性を好きになったことがなかった。
「誰かを心から好きになったことがないから、だから複数の男と恋の駆け引きをゲームのようにいたずらに繰り返してしまうんだと思います。一人の男のことを好きになったら、そんなことをしたいとはもう思わなくなるんじゃないですか」
すると斉藤さんはあらたまったように背筋を伸ばし、私の目を見つめた。
「俺がアユミさんを惚れさせてみせます。アユミさんの人間性を受け入れたうえで、アユミさんのその悪魔を俺が成仏させてみせますよ」
そう言って斉藤さんはどんと胸を叩いた。
惚れさせてみせます、という台詞はこれまで何度も耳にしていて、もはや私にとっては何ら特別な響きをもってはいなかった。むしろ安っぽくて陳腐な言葉に感じられてしまった。
けれども私の悪魔の存在を知ったうえで、それを受け止めようとした相手は初めてだった。そもそもその実態をさらした相手も彼が初めてだった。
「その言葉、信じていいんですね」
「ええ、もちろんです」
この男の率直さに賭けてみてもいいのかもしれない。私は消えゆく噴水を見つめながら、そう考えていた。
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