2023/03/11

仮)私と私、と私 7

 

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 「新垣さん、でしたよね。何度か見かけたことがあったもので。この会にも参加されていたんですね。あっ、自分は斉藤といいます」

 男性は額の汗を手で拭いながら言った。真っ黒に焼けた顔に白い歯、これぞ健康的といった風貌をしている。ツーブロックに短く刈りあげた髪が爽やかさをさらに際立たせていた。

 「どうも」

 私の方は相手に見覚えがなかった。とりあえず歳が近そうだとは思った。

 「いやあ今日も暑いですね。ゴミ拾いしてるだけでかなり焼けてしまいそうです。僕はもう十分黒いですけど」

 男性の顔にはもうこれ以上焼けるところがなさそうだった。ティーシャツをまくった二の腕のところも境界線がわからないくらいになっている。

 「引き続きお互いにがんばりましょう」そう言って私は手持ちのゴミ袋に視線を戻した。

 私は、早くゴミ拾いがしたかった。こうして立ち話している時間が無駄だった。

 さっきの地点に戻ろうと歩き出すと、背中から「いつもストイックな感じですね」と声をかけられた。振り向くと、男性が日差しを浴びて黒光りした顔を微笑ませていた。

 「新垣さんは誰よりも熱心に作業をしている感じがします。それで印象に残っていたんですよ」

 私はぼんやりと立ちすくんでいた。開いた口から見える白い歯が眩しかった。

 「もしご迷惑でなければご一緒させてもらえませんか。話しかけたりはしませんので。新垣さんは燃やせるゴミの袋で、僕は資源ゴミの袋、多少は分別の手間が省けると思います」男性は手にもった袋を掲げて示した。

 ⋯⋯まったく、どうしたものか、と私は思った。

 このての会で愛想のない振る舞いはあまりしたくない。せっかくの気持ちの良い時間が台無しになってしまうし、相手に不快な思いをさせるのは私も本意ではない。他者との共有に興味はないものの、こうした会にはやはりそれなりの一体感があって、メンバーみんなで爽快になって帰ろうというのがある。私もそれは同んなじ気持ちだった。

 「──じゃあ、お願いします」ぎこちない笑みを浮かべ、私は言った。

 「ありがとうございます。では、お先にどうぞ」男性は眩しいくらいの笑顔を浮かべた。

 正直に言って邪魔だなとは思うものの、やはり邪険に扱うことはできない。今後も別の会でかちあうかもしれないし、角が立って逆恨みされてもあとあと面倒だ。適当に距離を置いて挨拶程度にとどめておけばいいだろう。

 そんなことを考えつつ、私は早足で元いたところに戻り、さっきの続きからまたゴミを拾っていった。

 

 

 

 そろそろ終わりましょうか、という主催者の声が遠くの方で聞こえた。腕時計を見ると開始から二時間近くが経っていた。

 なかなか拾ったなあ、と、今日の成果をしみじみと振り返っていると、離れていた男性が近くに寄ってきた。

 「お疲れ様でした。いい汗かきましたね」

 男性はあれからほんとうに話しかけてはこなかった。分別のためにお互いのゴミ袋が必要になるとき以外、私たちに会話は一切なかった。お互いに黙々とボランティア活動に励んだ二時間だった。

 「お疲れ様です。気持ちいいですね」

 互いに一心にゴミ拾いに打ち込んだ戦友、私はそんな晴々とした心地よさを感じ、その気持ちを男性と共有できたことに喜びを覚えた。たまには誰かと作業してみるのもいいものだと思った。

 まんぱいになったゴミ袋の口を閉じ、えっちらほっちら公園に運んでいく。単体では軽いゴミもかさを増すとけっこうな重さになる。こればかりはちょっときつい作業だった。

 「僕が持っていきます」男性がこちらの袋に手を伸ばそうとした。

 「大丈夫です。ありがとうございます」私は腰を入れうんしょと持ち上げた。

 「では、僕のと交換しましょう。資源ごみの方が軽いです。生物として男の方が力が強いわけですから、これは単なる役割分担ですよ。各自が得意なことをして社会に貢献しよう、というのと一緒です」

 男性は微笑んでいた。強制するつもりはないようだった。

 「それではお言葉に甘えます」

 私は素直に応じた。男の見栄を押しつけることのない、その男性の言い分に共感したからだ。

 集合場所に戻ると公園の一角をゴミ袋がどっさりと占領していた。それらはすべて回収業者に連絡して取りにきてもらうようだ。主催者と何人かが分別作業をやっていた。

 「じゃああとは私の方でやっておきますので。みなさん今日はお疲れ様でした」主催者が締めの挨拶をし、メンバーがお互いにお辞儀をし合って、各々が帰り支度をしだした。すぐさま駅に向かう人もいた。

 汗ばんで手に張りついた軍手と格闘していると、先ほどの男性が近づいてきた。

 「新垣さんはどうしてボランティアに参加しているんですか?」

 これは定番の問いだった。参加者の誰しもが他者の動機を知りたがる。

 「人の役に立つのが好きだからです」

 私はいつもの答えを定型文から引用した。

 男性は「なるほど」とつぶやくと、しばし考えるような顔をした。そして思いついたように口を開いた。

 「もしよかったら今度私の主催する会にきませんか? 今回のようにまったりしたものではなくて、がっつりと河川敷でゴミ拾いをします。けっこう大変ですけど、その分やりがいはありますよ」男性は楽しそうに説明した。

 なるほど、メンバーの勧誘だったのか。私はほっとして男性の顔を見た。この黒さはさしづめ、ボランティア焼けといった感じなのだろう。

 実施するボランティアの内容によっては、参加者の温度差が会に水を差すこともある。過去に参加した会でもそういうことはあった。熱の高すぎる参加者が飛ばす檄によって他の参加者が困惑させられたり、軽い気持ちで場違いな会に参加してしまった者が足手まといになったりと、ボランティアにも階層みたいなものがあって、それが想定とズレた場合には、主催者と参加者のあいだでちょっとした軋轢が生じる。

 ゴミ拾いは比較的軽い気持ちで参加できるイベントではあるものの、それでも内容によっては人を選ぶ場合がある。河川敷のゴミ拾いはそのなかでもそこそこの意識が要求されるボランティアなのだろう。以前、川の堤防の会に参加したことがあるのでだいたい想像がつく。

 「ぜひ参加させてください」

 もちろん大歓迎な話だった。どのみちどこかの会には参加するのだから断る理由もない。

 「じゃあ連絡先だけ聞いておいていいですか」男性はスマートフォンを取り出した。

 私は少し躊躇したが、「基本的に電話は出れないことが多いのでラインしてもらえたら助かります」と、いつもの定型文から引用した。これを伝えておかないと面倒なことになる。邪魔をされては困るのだ。

 ──男性から聞いた番号を登録しようと思い、ふと手が止まった。

 「斉藤です。忘れてたでしょう。まあ、そりゃそうですよね」男性は肩をすくめた。

 そうだ、斉藤だった。黒い顔と白い歯に意識を奪われて記憶から漏れてしまっていた。相手が名乗っているのに忘れるとはなんと失礼な。

 「またあらためて連絡しますね。それでは」

 男性は快活に言うと、足早に立ち去っていった。いかにも細かいことは気にしないといった朗らかな態度だった。

 申し訳ないことをしたな、と思った私は、次会ったときにあらためて詫びようと心に決めた。

 スマートフォンを開いて続きの操作を再開すると、『斉藤 ボランティア』と入力して登録し、私は帰りの駅へと歩き出した。

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