2023/03/11

仮)私と私、と私 8

 

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 車はぶおおんというエンジン音を轟かせ坂を登っている。あたりは真っ暗で街灯もなく、たまにヘッドライトに照らされたカーブミラーが反射光を光らせる。途中で何台かすれ違って以来、しばらく他の車を見かけていない。

 右へ左へと小さな曲がりはあるものの、基本的に同じ方向にぐるぐると回っているこの道は、きっとらせんの構図で回転するたびに上へ上へと運ばれているのだろう。巨大なソフトクリームを駆け上がっていく蟻のような気分、といったら随分と聞こえはいいけれど、実際には頭を掴まれて脳内をシェイクされているような感覚で、吐き気はするし、軽いめまいを覚えるわで、ワクワク感とはほど遠い。風を入れようと窓を開ければ熱帯夜の洗礼を浴びよけいに胸が悪くなる。

 それでいて運転者がすこぶる張り切っているものだから尚のこと始末が悪い。一刻もはやく披露したい、その気持はわかるのだけど、そこに行き着くまでの道中をおろそかにしてしまっている。もはや目的地に着いたときのことしか頭にないのだろう。こういう相手と夜を共にしたら自己満足的な性をしつこく強要されるに違いない。

 「着きましたよ」男は気負った様子で言った。

 私は外に出るとまず大きく深呼吸をした。街中から離れているからか、空気はわりと澄んでいる感じがした。ふう、と息を吐き、あらためて男に向き直った。

 「運転ご苦労さまでした」こみあげる苛立ちを抑え、私はできるだけ笑顔を作った。

 「おやすい御用です。あっ、まだ空は見上げないでくださいね。ベストなポジションがありますから」男はいかにも楽しそうだった。やはり先ほどの脳内シェイクのことなどは気にもとめていないらしい。

 私は男のあとについて歩いていった。言われるまでもなく下を向いたままにしていた。ついさっき食べたハンバーグがあがってこないよう抑えつけるのに大変だった。

 「ここです、ここ」

 前を歩く男が立ち止まった。私は下を向いたまま男のとなりに立った。

 「せーの、で、いきますよ。せーの──」男の合図に合わせ、私はぱっと空を見上げた。

 そこには各星座が明瞭な配列をともなって光っていた。ひとつひとつの星が夜空にくっきりと浮かびあがり、宇宙のはるか彼方までつながる奥行きが感じられた。絵みたいな、とよくいうが、この場合はプラネタリウムみたいな星空が広がっていた。まるでベタ塗りされたようなしつこさがそこにはあり、あまりにも主張する星々が、なんだかやかましく映って仕方がなかった。

 これは気分が優れないせいなのだと考えていたけれど、そういえば、過去にもここでこの景色を見たことがあったことを思い出し、そのせいだったのか、と、私のなかで合点がいった。

 「すごい⋯⋯落ちてくるみたいですね。こんなにくっきりと⋯⋯信じられません」最初に見たときの感想を、私は記憶の底から引っ張り出した。

 「これをアユミさんにぜひ見せたかったんですよ。喜んでもらえましたか?」

 「ええ、とても」

 私は感慨に浸るような表情を浮かべる努力をしていた。頭のなかでは以前に告白された場面を思い浮かべていた。散々もったいつけておいて断られたときのあの男の顔はなかなか秀逸だったなあ、今にも泣き出しそうにくしゃっとなったあの表情は忘れられない、といった具合に。

 「アユミさん」

 「はい」

 まさか、と思いつつ私は、顔を向けた。

 「好きです。付き合ってください」

 鼻の穴をふんと広げたまじめくさった顔で、男は言った。遠くの方でオオカミの遠吠えが聞こえたような気がした。

 男の言葉を聞くや、私は、ゆっくり夜空の方へと顔を戻した。そして表情を変えぬよう努め、胸の内で深いため息をついた。

 なんと二回目にして告白をしてしまったぞ。この高め合いの期間をもうちょっと楽しんでいたかったのに。まったくなんという気の早い男なのだろうか。私は、どうにも怒りを覚えずにはいられなかった。

 まだろくすっぽお互いのことも知らないうえ、気持ちが傾くまでに必要な時間もほとんど過ごしていない。それでどうして恋愛への発展に目算を立てることができるというのか。なぜ男というのはこうも道中を楽しむことが下手なのか。

 まさか初回における私からの積極性をもって「好き」を確信したというのだろうか。それだったらなんとおめでたいことか。あな恐ろしや。そんなことで男女交際が始まるのなら世のデートスポットは軒並み閉鎖されてしまう。まどろっこしくていちいちそんなステップなど踏んではいられない。いわれるところの〝一目惚れ〟というのは、あくまでも単なるきっかけに過ぎないのだ。

 せっかく出会いにまで漕ぎ着けたというのに、もったいない。男の早計っぷりに私は大きな落胆を感じていた。

 さも通過儀礼に過ぎないであろうと過信した相手の気持ちを無残に踏みにじるところに、私の至上の快楽がある。こんなクリームもデコレーションも塗られていない作りかけのケーキ、そりゃと落としたところで、かすかすのスポンジが床でぽすんと弾むだけ。なんらの激情も飛び散らない、ただの幼児の食べこぼしではないか。

 「──私は田所さんに対してそういう気持ちにはなりませんでした」できるだけ相手の期待を裏切るよう、平坦な口調で私は返答を述べた。

 さっきまで自信満々だった男の表情が崩れた。

 「そうですか⋯⋯それは残念ですね」

 案の定、男の顔に驚愕の色は浮かんでいなかった。せいぜいが落胆程度に落ち着いてしまっている。これではなんらの味わい深さもない。

 反対にがっかりとさせられた私は、無言ですたすたと歩きだした。帰ってワインでも空けよう。

 「だけど僕は諦めませんよ」

 私は、ぴたと足を止めた。そしておもむろに男の方を振り返った。

 「僕はなんとしてもアユミさんを振り向かせてみせます。本気になってしまったと言ったでしょう。たかが一回断られたくらいで諦めていたら営業なんてやっていられません。断られてからが商談、ですからね」

 ゾクゾクとしたものが背中にあがってくるのを、私は感じていた。思わず握った拳に力が入っていた。

 「あらためて言っておきます。僕はアユミさんが好きです。アユミさんとのことを真剣に考えています。必ずアユミさんを僕の方に振り向かせてみせます。楽しみにしていてください」男は再び、自信満々な表情を浮かべた。

 ああ、たまらない。またもや私の快感を満たすべく萌芽が、ここに。懊悩の道へと突き進む男が、ここに。

 男の背後できらめく空がさっきとはまるで違う瞬きを放っていた。浮かびあがった一つ一つの星々がきらりと輝き、まるでこの場を祝福しているように思われた。キレイ、と私はつぶやいた。

 私は男に向かってにこりと笑みを投げると、くるりと振り向き、満天の星空に向かってこの胸の愉悦を伝えた。そしてポケットからスマートフォンを取り出し、『田所 2 済』と登録名を変更した。

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