作家としての最低限の責任

 

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今日はえらく涼しいですね。執筆机の足元でぶんぶんと首を振ってくれているダイソンを停止したところ、今度は窓から入ってくる寒気に思わず肩をすくめてしまいました。扇風機の風が外気を打ち消していたのかも。今日は扇風機いらずの日だったようですね。

ここ十日ほどあまり、小説の執筆が止まっていました。

執筆作業自体は進んでいて、書くには書いていたのですが、自分的に「どうせ修正するだろうなあ」という思いが拭えず、書いては消しての繰り返しでまた元の位置に戻ってしまう。それを「進んでいない」と考えるのは辞めよう、といつからか思うようになって、進んではいるけど執筆自体は止まっている、という状態が続いていました。

頭の中では物語が展開されていて、書き直してはまた展開させる、そしてまた書き直してはまた別の物語を展開させる、という、いわゆる推敲(すいこう)をしているがために、執筆自体は止まります。一発でバシッと出てくる作家さんもいるのでしょうが、自分の場合は、そのように何度も練り直す作業が必要になります。少なくとも、今のところは。

個人的に、文章には〝匂い〟というものがある気がします。

当然それは、鼻腔で感じる物質的な香りではなくて、視覚から脳へと伝わり、そして感覚器官へと伝達を促すもの。心を震わされ自然と涙が溢れてくる文章もあれば、背筋に寒気を感じて肩を震わされる文章もある。そしてまた、それらのように読む者に対する〝満足〟を与える文章とは真逆の、「どうして?」「なぜ?」といった懐疑心や失望感をもたらす文章もある。

おそらくそういった不満足感が生じるのは、書かれた文章を読んだ者が、その文章から著者の気持ちを敏感に感じ取っているからではないかと思います。「これ手抜きしただろ?」とか「間を埋めるために書いただけだろ?」といった具合に。それはまさしく、その文章から発せられる匂いを嗅ぎ取ったがゆえに抱く気持ちなのではないでしょうか。決して読者をだますことはできない。というのが自分の考えです。

書いている本人が「これ、違うな⋯」と思っていたら、それは当然書いた文章にも表れてしまうわけで、いくらごまかそうとしても、たしかな匂いとなってそこにこびりついてしまうのではないかと思います。だからこそ疑念をもったままの状態で披露することだけはしたくない。しかも締切の期限を迫られている作品でもないのだし。

実力不足は仕方がない。そういう懸念で出版をためらう必要はないと思う。

けれども、自分が「こうしよう」と思い描いた世界観を完成させることだけは全うしたうえで世に出さなければいけない。それが作家として最低限果たすべき責任であると、僕は思っています。

違うな、と、自分が思っているのなら、出さない。

違うな、が、これだ! になるまでは、出さない。

その点だけは、一冊目から信念として貫いています。

そう、実力不足は仕方がない。きっと読む人も、そういうのはある程度は考慮してくれるのではないかと思う。

けれども「未完成品」を世に出してはいけない。読む人を裏切ることだけは決してしてはいけない。きっとその匂いだけはごまかすことができないから。

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