2022/09/25

写実主義による明確なメッセージ性やいかに?

 

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第二ロシア人作家の作品を三つ読了した。どれも代表作とのこと。

三作目の長編には思わず「見事」の感嘆が口から漏れた。写実主義によってこれほど訴えかけるものが表現できるか。他のロシア人作家との違いに賞賛を禁じ得なかった。氏の場合は明確に、これでもかというほどに、作品からメッセージが〝浮かびあがって〟いたのだった。もちろん明文化することなくして。

描写が秀逸なのだとしか考えられない。客観性を崩すことなくそれを実現するには類稀なる描写力が求められるはず。

情景描写の美しさも然り、いかに説明せず表現をするのか、その筆致の妙によって読み手に本旨を理解させる。かといってどこか一方に肩入れはせず、あらゆる個性とあらゆる思想があって、それぞれの快楽と悲劇があるのだということを描く。別に公正を保つためではなく、ただ描く。なぜなら写実主義なのだから。

おそらく一般には多面的な視点が秀逸なのだという話になるのだろう。云わずもがな〝それ〟が非凡な能力であることには自分も同意する。

ただ、〝それ〟は作家ならば誰しもが要求される能力だと思う。いわば作品を及第点に至らしめるための最低ラインのようなものか。〝それ〟がちゃんと行使されてあって初めて本棚への仲間入りができるというか。だからこそ気後れなどしていては話にならない。自分も当然〝それ〟が使える者なのだという自覚をもたないと。

ただそうなると、描写力が秀逸であるという分析にもいささか疑義が生じてくる。

写実主義の本来的な意義は『美しさ』にあるはず。美しい対象物を「これは大変美しいものである」と表現することなくして、観た者に「これは大変美しいものだ」と感じさせる、それこそが手法の趣旨であるはず。

であれば、いやしくも明文化されていないとはいえ、メッセージが明確に浮かびあがってくる作品というのは、果たして秀逸だといえるのだろうか? 写実主義に立脚したならそれはむしろ真逆の効果の表れだといえるのではなかろうか。

意図的、恣意的な匂いを読み手に感じさせるのは、芸術的にはあまり美しいとは言い難い。それは私の嫌いな「エンタメ」に近い。そう、もしもその意図的な写実力が、かの作家の優れた点であるとしたならば⋯⋯。

まだ断定するには早計であるように感じる。もう少し比較する材料が必要そう。

幸いにもロシア文学黄金期の著名作家はあと一人残っている。しかも氏こそが写実的な描写に定評のある作家なのだという。

まだまだ、この庭から旅立つわけにはいかなそう。

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