2021/11/05

創造力の限界を超える

 

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いま少し古い映画を観ています。自分が20代前後の頃に目にしていた作品。言うまでもなく、現在執筆中の小説に活かすための行動です。

原稿の進捗度は半分を超え、物語としてもいよいよ佳境に突入していく段階にある今、作家として再び、自分と向き合う必要性に迫られています。

「ここで良しとするのか? それとも限界をもう一段階超えてみるのか?」

7、8ヶ月前の自分にとっては、現在メモに書き留めてあるストーリーの数々でさえも、自分には到底創造できないだろうと思っていました。その頃の自分の頭の中にはまだ物語の大枠しか創造されておらず、メモに起こしてみると、それはそれは薄っぺらいストーリーでした。こんなの30分で読み終わるだろう、という感じ。メッセージやコンセプトはしっかりとあったものの、それをどのように描写するのか、という中身はてんですっからかんの状態でした。

それを今日までじっくりと時間をかけてリサーチをし、アイディアを捻り出し、描くべき内容を一つ一つ創りあげてきました。その積み重ねが現在の膨大なメモとなり、そしてそれらは原稿へと具現化されていっています。当初の自分は、自分がここまでできると想像もしていませんでした。だからこそ自分で自分を褒めたいと本気で思います。これほどの苦しみをよくぞ乗り越えてこられたなあと。

しかし、いま佳境の場面を原稿へと具現化するにあたり、胸に生ずるモヤモヤとしたこの気持ちをどうにも無視することができないでいます。

違和感、とは違う。違和感が生ずる時は、なんだか間違ったことを書こうとしている時で、それをそのままにしておくと作品としての出来を大きく下げることになる、ともう一人の自分が警告を発している状態を表します。つまりはミスを犯している時であって、そういう場合はほぼ間違いなく原稿の修正を必要とします。そのまま放っておくのは作家として「怠惰」以外の何物でもない。

しかし今回のモヤモヤは、それとは違う。

もう一人の自分が、「これでもいいと思うけど、これで終わって本当にいいの?」と心に問いかけてくるような感じ。

数ヶ月前の自分が見れば、十分に及第点に達していると思えるような小説ができあがりそう。けれども今の自分は、そうではない。創造し、そして積み上げることを経てきた今の自分が見ると、そこにはまだ少し何かが足りないような感じがしてしまう。

そう、きっと「想定内」なのだろう。

今のままでは想定の範囲内。読む人たちの想像の範疇にある作品。読了したあとに一定程度の満足をもたらすことはできるかもしれないけれど、相手の心に〝未体験の感動〟を与えることはできない。だから当然、相手の記憶にも残らないだろうと思う。

ここで満足して終わるのか? それとも自分の創造力の限界を超えてみるのか?

考えるまでもない。答えはすでに決まっている。

だからまたもう一度リサーチに戻り、数々の良作に触れ、己の想像力を刺激してみようと思った次第です。

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