単なる読書量の問題だったよう

 

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ある歴史的権威の文学作家が云っていた。あの頃の自分はまだそこまでの思考に至っていなかったのだ、と。

のちに当人物は自身の哲学的思想を提示しその道の権威者からの圧倒的な賞賛を浴びた。そうして史上初めてノーベル文学賞を自ら辞退した作家として歴史に名を残した。実存主義という一大思想とともに。そんな大作家にも挑戦した読書を中途で断念した経験があったのだそう。

察するに、思考には「深度」というものがあるらしい。

あまりにも感覚的で突発的な浅慮から、検討と思案が繰り返される熟考。そしてそれらに幾度も推敲を重ねてようやく導き出される深い思慮。思考には、行間という名の明文化されない域によって区切られた階層が存在している。

個人的には頭の良さなどとは性質を異にすると考える。要は一つの物事に対しどれだけじっくりと向き合えるかどうか。つまりは単に忍耐の問題なのではないかと思う。

娯楽小説の庭から文学の庭に足を踏み入れて今日に至り、視界を塞いでいた霧がおもむろに晴れていくのをひしひしと感じている。ようやく街の全体像が掴めてきた感があり、それとともに自分がどこに居を構えるべきかというのもわかってきた。それはつまりどの辺りを入念に耕すべきかがわかってきたということ。

それらはようやく思考がその域まで深まってきたことを示唆しているのかもしれない。そうなのだ、きっとあの頃の自分はまだそこまでの思考に至っていなかっただけなのだ。これは単に深度の問題、つまりは世間では教養と呼ばれる一定程度必要な読書量の問題だったのだろう。

自分の頭で考えることを諦めなければいつか必ず辿り着ける。

なんともありきたりだがそんな程度の話だったのかもしれない。人が挫折と呼んでいるものは得てしてそういったきらいがあるのではと、個人的には思っている。

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