2021/09/01

取り上げられていく夏の風物詩

 

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作家としての自身の誇りであったメールマガジンを失い、少しばかり意気消沈していますが、それでも腐ることなく、また今日も文章をここに綴っていきます。

昨日の夜未明、というかほとんど朝方にかけて、学生時代によく聴いていたレゲエの曲をyoutubeで聴いていました。ゆえに起きたのは昼の12時過ぎ。ちゃんと主夫してんのか? という感じですよね。まったく妻に感謝です。

おそらく「レゲエ」という音楽に馴染みのない方がほとんどだと思うのですが、あれは、とても良いですよ。何が? って聞かれると、体に。レゲエはちょっとした野菜よりも体に良いものだ、と個人的に思っています。聴けば体調が良くなる音楽。聴けば小さな不調くらいは快方へと向かう音楽。知らないなんてもったいない、とすら思うくらいです。ちょっと言い過ぎか。

きっかけは友達の家のMDコンポ(今でもコンポと呼ぶのだろうか?)から流れてきたそれを聴いたことでした。これまで耳にしてきた歌謡曲とはまったく違う、原始的で、荒々しく率直で、機械加工の施されていない生の歌を聴いたような感じ。自然と体が乗ってしまい、やたらと情熱を掻き立てられ、どうにも心が震えるような感覚を覚える。最初は「なにこの変な歌?」という違和感ばかりが覆っていましたが、半ば強制的に聴かされるうちに段々とハマってしまい、いつしかその世界観の虜になっていきました。

世間的には一時期、ちょっとした「レゲエブーム」というものがありました。湘南乃風に代表されるような、夏の暑さを思いっきりぶっとばす、炎天下の砂浜で男女入り乱れ飛び跳ねながらタオルをぶんぶん振り回す、みたいな、そんなイメージがレゲエに定着したような印象があります。それだけがレゲエというわけではないのですが、ダンスホールミュージックといういわゆる〝イケイケ〟なナンバーの数々が、いっとき音楽チャートを席巻していました。

たしかにレゲエはカリブ海に浮かぶ暑い暑い島国で生まれた音楽。ビーチや海に向かう車の中、あるいは海を拝んだリゾートホテルの屋上みたいなところで聞くのがもっとも楽しめる鑑賞法なのかもしれません。僕も学生時代はそういったイベントにいくつか参加しましたが、一番気持ち良かったのは、海に近い大きな広場で開催された3000人規模の野外フェスでしたね。あのなんともいえない開放感は屋外ならではの醍醐味なのだと実感しました。

そういったイベントも、昨今においてはちょっと難しいんですね。くしくも自分が約20年前に参加したイベントも愛知県でした。

野外フェスに限らず、花火大会や地域のお祭りなど、日頃溜まった鬱憤をすごぶる開放させてくれる夏の風物詩が次々と取り上げられていく昨今。受け入れないことにはどうにも仕方がないのですが、その代わりとなるものを自分で見つけていかないと、溜まった鬱憤は行き場所を失ってある日突然大爆発を起こしてしまうのではないか。などと感じてしまう今日この頃です。

 

 

失われるものを憂いたところで、その現象を止めることはできない。

どのみちいつか消えてしまう。形のある物も、形のない物も。

だからできるだけ執着をしたくない。自分以外のものに対して。

できるだけ身軽でいたい。

そうすれば、自分自身の外側が変化したとしても、その流れの中に自然と身を委ねることができるような気がする。

そして自身がそのようにあれば、鬱憤というものもあまり溜まらなくなっていくのでなかろうか。なんとなく、そんな気がしている。

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