取捨選択しないとどうにもならない

 

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小説の世界はどこまでも奥が深いです。そしてまた、果てしなく広い。

そのすべてに触れようと試みれば、もはやそれだけで現世が消費されてしまうのでないか。そう思えて仕方がないほどの底なしの世界に足を踏み入れ、今の自分が切に感じているのは、当初の志を決して忘れてはいけない、という強い思いです。つまりは「自分はなんのために小説を書くのか?」という、その創作の〝意図〟が絶対的に大事だということ。

以前、一般的に難関だといわれる国家試験に挑戦していた際に、その学習すべき容量を目にし、どう考えても全部習得するのは無理だろうと感じました。才能とか努力の問題ではなく、はなからそんなところを目指すべきではない、という理解が即座にやってきました。事実、身近で合格した者たちの大半が「だけど全然完璧じゃないよ」と、その手応えのなさを口々に公言していたことから、自身の認識はきっと間違いではなかったろうと思います。

小説の世界はまさに上記と同様。「誰よりも知見を得よう」などとは決して考えるべきではないし、そしてまたそうすることにはあまり意味がないように感じます。技術ばかりを高めたところで、作品を読んだ人に喜びを与えられなければまさに絵に描いた餅だろうと思うからです。少なくとも、作家のやるべきことは、技術の向上に努めることだけではないと思う(むしろ深追いするのは弊害でしかない気がする)。

やはり重要なのは、それを生み出そうとする著者の意図。

作家としてその本でどのような世界観を表現したいのか、どのようなメッセージを伝えたいのか、そして読んだ相手にどういった価値を与えたいのか? そのような「目的意識」を念頭に置いて、この世界の知見の蓄積に努めるべきだと個人的には思います。でないとこんなもの、気の向くままに探求していたら、ついぞ納得の作品を生み出すことなく生涯を終えてしまう気がしてならない。

自身の意図を実現させるには何が必要なのか? そのような目で世の作品に触れていれば、わりかし知見の習得にもつながりやすい気がします。目を向けるべき箇所が随分と絞られるからです。「これも得たい」「あれも得たい」などと欲張って習得に取り組んでいると、集中力が散漫になり、逆にどれもが中途半端になってしまうような気がします。逆に絞ることで、そこにかかる労力は減少し、目にしたものを着実に自分のものとすることができるのではないでしょうか。

そうやって取捨選択していかないと、人生がいくつあっても足りないだろうと、そんな思いを抱かずにはいられません。やはり人間は、自分の思考を何らかの形にすることでこそ、何かを学べるものだと思いますので。

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