2021/08/23

受け入れることが全ての始まりではないか

 

この記事を書いている人 - WRITER -

妻が「別々の住居が欲しい!」と不満を言っていました。曰く、24時間365日家にずっと夫がいるのは息が詰まる、のだそう。

たしかに一人の時間は欲しいだろうなあ、とは思います。けれどもそんな妻の心労を慮りながらも、「現状維持」を静かに告げた残酷な主夫です。だって今動くわけにはいかないんだもの。そのうちきっと、必ず、ね。

不満は決して尽きることはない。そう思って日々を生きています。

20代の頃は、目の前の現状を変えるために、ひたすら上を目指して突き進んでいました。自分を変えたい。人生を変えたい。その気持ちを原動力に、より良い暮らしを求めて努力を惜しみませんでした。その甲斐あってそれなりの生活をしていた時期もあります。

ところが、一段登ればまたもう一段、もう一段登ればさらにもう一段と、己の欲望は尽きることがありませんでした。そしてそれと同時に、一つ不満を解消すればまた新たな不満が、その不満を解消すればまた別の不満が、と、苛立たちの根源となる不満もまた尽きることがありませんでした。気づいた時にはイタチごっこ。無限に消えることのない不満と欲望をどこまでも追いかける人生を送っていました。

そんな暮らしを十年も続ければ誰でも気がつきます。こんなのは単なる人生の無駄遣いだ、と。やっていることは違っていたとしても、結局のところ同じことの繰り返しに過ぎないじゃないか、と。それから自分自身と真剣に向き合い、結果、こうしていま作家として活動している次第です。

『不満』という感情ほど、厄介で、そして〝便利〟なものはないと思います。

なぜなら僕の経験上、自分が抱く不満の原因は、そのほとんどが他人によってもたらされます。自分のせいではなく、あきらかに他人のせいで苛立ちが生じることがほとんど。

だからこそ正当な自己弁護が可能となります。仕方ないでしょ? やむを得ないですよね? 抱えている苛立ちによって自身の一日の充実度が下がっていたとしても、それは他人のせいだから自分は悪くない。という、もっともな理由で自分を納得させることができてしまいます。

しかし、たとえその原因が自分になかったのだとしても、生じる苛立ちによって犠牲になるのは、自分自身の日々の生活です。一日一日の充実度であり、幸福度。それが不満という感情を抱くことによって起こる「実態」ではなかろうか。

結局のところ、損をするのは、自分。

だから僕は、不満を解消することに努力を費やしません。よほど許容できないことでない限り、受け入れることを第一に考えます。よって妻にも受け入れてもらうしかありません。すまん。そして頑張れ。

 

 

不満に焦点をあてていても、幸福には辿り着けないような気がする。

なぜなら不満を解消するために日々を生きているわけではないから。

不満なんて無くなりはしない。欲望と同じで、どこまでいっても満足を得ることなどできないから。

僕は受け入れる。まずはすべてを受け入れる。

そうしたうえで、自分はこうしたい! と感じるその気持ちこそが、幸福に続いているような気がするのだ。

この記事を書いている人 - WRITER -
 

Copyright© 売れっ子Kindle作家 大矢慎吾 , 2021 All Rights Reserved.